2020年 ■■■■補:年末分 2020年11月---12月
■■■■■■■■■■
======================================================
集約::前立腺肥大症入院記 (コロナ疎開記 抄)
=====================================================
2020年03月06日(金)
入院・手術 1日目
1:15 導尿カテーテル失敗(真夜中)
7:00 導尿カテーテル実行
板橋病院に10時に入院する。入院手続きをして予約金5万円を支払う。10:30頃、病室に入る。
手術前までは自己負担で自己導尿カテーテルをしないといけないということであり、ばあ様が四ツ谷にとりにいく。常備薬としてビオフェルミンと毒掃丸を申告する。
CT検査(腹部)をする。手術は明日昼頃になる予定とのこと。荷物はスーツケースを持ち込んだ。病院を出たらそのままウイークリーマンションへ直行するためである。
昼食は220gのご飯とおかずである。すべて食べきる。おかずはおいしくはないが、お米がおいしかったせいか食べきれた。昨日の夕食に続いて2回続けてのご飯であったが、食べれるようになった。なを、夕食はサバ焼き、イモの煮っころがし、おくら、バナナでご飯は220gで一定のようだ。
2時過ぎカテーテルが届く。5本入っている。導尿カテーテルは日に5回やるように言われているが、数回に1回は挿入できず失敗するか、あるいは無理して血が出たりする。日に5回だと真夜中に1回は必ずやることになる。これはそこそこ面倒である。
14:45 導尿カテーテル実行
先生の話では最短で10日に退院になるが、何か支障が出ると一日二日延びるとのことがあるとのこと。手術に備え9時以降に経口補水液「OS-1」を2本、明朝6時までに1リッター飲む必要があるとのこと。7時にシャワーを浴びる。体重は就寝前で46 kgである。
20:30 導尿カテーテル 実行
2020年03月07日(土)
入院・手術 2日目
1:30 導尿カテーテル実行 (真夜中)
6:30 導尿カテーテル実行
1リーッターのOS-1は飲み切れなかった。手術後はベッドにくくりつけられるからトイレにはいかれないであろう。ありがたいことに手術前にトイレに行って排便することができた。看護婦さんが来て「手術前は緊張するでしょう」と言う。「初めての入院と手術の経験なのでウキウキしています」と答えた。実際そんな気分であった。手術は「CVP」という術式でレーザーによる肥大部分の切除である。切除というよりレーザー照射で肥大部分を焼きとってしまうとのことである。相応の温度をかけるとこの部分は燃えて蒸発してしまうらしい。
10時過ぎに娘とばあ様が来た。手術の予定が1時過ぎにずれ込むとのことで病室を出ていった。が、入れ替わりですぐに手術に入るとの報が入り、追いかけてエレベータ前でつかまえその旨を伝えた。
手術室に入ると、左鎖骨下のコブがひっかかった。「これ、昔強い弓を弾いていたときできたチカラこぶです」と答えた。麻酔ですぐに気を失い、覚めたのは4時すぎであった。麻酔で落ちる瞬間をつかもうとしたがまったくできずにあっと言う間に落ちていた。ガタガタという振動で麻酔から覚めた。はじめに見えたのは流れゆく廊下の天井であり、ベッドが病室に運ばれるところであった。病室に入ると娘とばあ様が来た。「どうだった、痛い?」と聞かれる。「わからない」と答える。気を失っていたのでそうとしか答えようがない。しばらくして帰っていった。面会はこれで退院日まではできないということなので、早くて10日の日となる。
手術後3時間で食事ができるという。7時前に夕食を食べることができ、水分もとれた。食事はヒジキと豆(これはたべれなかった)、肉と野菜炒め。ご飯は2/3ほど食べてあとは残す。ジョアがついていた。水分は看護師さんにお茶を買ってきてもらう。
2020年03月08日(日)
入院・手術 3日目
朝6時頃採血その他が行われる。体は機器につながれている。腕に点滴が、陰部に生理食塩水がつけられている。生理食塩水はオシッコに混ぜられているようで、そのため排尿の量が多くなっている。交換するときジャワジャワと音がする。この食塩水の袋が消えると点滴だけになり、歩けるようになるということなのだろうか。食塩水は傷口を洗っているのかも、と思ったりもする。
朝は温まった食パン2枚、卵とジャガイモのサラダ、切り干し大根、牛乳200mlである。昼食はごはんとおかずは***、その他。果物としてパイナップルがでた。
11時に管がとれ、体につながっているのはカテーテルだけとなり自力で歩けるようになる。尿袋がついた自立ステッキを押しながら歩く。昼食後トイレへいく。歩けるようになっているのでオシメを外して用をすませることができる。昼過ぎに一度、5時過ぎにもう一度いき排便をすます。先生に会ったら明日チューブ(カテーテル)を抜くとのこと。夕方体温が37度越えた。これまでは36度台であった。体温が上がっているせいか少しボーっとする。
夕食は6:15.豆腐、ひじき、小粒の果物。ひじきは昨日たべられなかったので今日は無理して食べる。缶詰果物は少し残す。
2020年03月09日(月)
入院・手術 4日目
尿には血が混じっている。これは当然であろう。尿路の回りについている前立腺をレーザーで焼きとったのだから。その量(色合い)は小さくなってきている(薄くなってきている)。カテーテルの周りから流れる血はまだ止まっていない。でもわずかなものである。9時半ごろカテーテルが取り除かれオシメとなる。11時にシャワーを浴び、夕方にはまたオシメを替えた。カテーテルを外したあとの尿量検査があるが、これが出ない。50mlくらい出ないといけないのだが、25mlくらいである。3回目でようやく50mlに達した。その後は30~50mlくらいの間で頻繁に出ている。でも最初の50mlを越えるのに4時間くらいかかったことになる。先生が巡回の時、尿の様子をみたいからとのことで退院は10日から11日にズレこんだ。その旨ばあさまに電話して、またオムツを3枚購入した。
夕方から熱が出る。38.2度である。これだと寝られない。解熱剤をもらい水枕をする。これで楽になった。ちびちび便で毒掃丸のせいだろうか。夜にビオフェルミンを飲んだら止まった。
2020年03月10日(火)
入院・手術 5日目
昨日の午後6時から朝の6時まで15回トイレに行く。30~60mlの血尿である。血溜が時々でる。昨夜3時ころオムツを交換する。替えはあと2回分あるが購入しないといけない。病院を出たあとのものもいる。購入手続きをする。支払いは退院時とのことである。
食事のときはじめてほうじ茶がくばられたのだがこれは飲めない。コーヒーを買いたいのだが千円札がない。一万円札のみである。これは入院時に注意を要する、ささいなことかもしれない。まあ究極は看護師さんに崩してもらえばいいことだが。そんなことに手を煩わせるのに気がひける。水は買ってあるのであと一日のことでこれで済まそうと思う。食事は8時半に終わる。ビオフェルミンを2錠飲む。血尿は徐々に薄くなっていくとのことである。ペットボトル茶がなくなったので水を飲んでいる。ここに来た時3本ほど買っておいたので重宝している。昼食のほうじ茶は飲み干すようにした。水分は多くとった方がいいようだ。11時にシャワーを浴びオムツを取り換える。
先生が明日の退院を告げにきた。ばあ様に電話を入れる。娘も来るとのことである。6時にシャワーとオムツ交換。ここにはドライヤーがないので頭は洗えない。夕食のご飯は7分ほど食べた。はじめは完食できたが、すぐに飽きてきて食べれなくなった。
病室は6人部屋の大部屋で左右に3床ずつである。私は窓際だった。はじめは左の窓際だったが、翌日に右の窓際に移動させられた。患者の出入りは激しい。入院中にすべてのベッドが入れ替わった。ということは一番長かったのが私ということになる。前立腺肥大の手術は私だけのようで、大半は尿路結石である。昔は激痛に苦しんだ病気と聞く。今はいともたやすくレーザーで破壊し、取り除くことができる。入院して翌日手術して、その後1日安静にして退院となる。4日目には退院である。器官の切除ではないので体への手術負担はなく、尿路にある石を取り除けば「ハイ終わり」となるらしい。就職の決まった大学生もいた。前立腺は老人病だが、尿路結石は年齢には関係ないのだろうか。
入院時に読んだ病院にあった本
1.浅田次郎著「珍妃の井戸」
2.浅田次郎著「一路」
3.加村一馬著「洞窟おじさん」
2020年03月11日(水)
入院・手術 6日目
昨夜は尿意より睡魔が勝って、トイレに行かなかったからオムツがドボドボになる。いまだ血尿である。看護師の話では問題ない色だという。トイレには色を照合する色彩表がおいてあるが、これと比べると結構濃い目の評価になるのだが。トイレへいくと目盛の印刷された紙コップがおいてあり、排尿量を計り記録する。それは退院時まで続く。
朝、先生の回診があり、退院を許可される。その後、看護師さんから様々な説明を受けて退院となった。薬は一切ない。ばあ様がきてくれた。娘はマスクを忘れたので院内に入れず、玄関で待っているという。費用は¥35,250-という。高齢者医療で一割負担ということであるから保険なしだと35万円ほどの費用となる。予約金が5万円だから1万5千円ほど戻ってきた。短かった入院も終わった。次に病院に来るのは3週間後検診の時になる。玄関で娘と合流する。コロナ対策がきびしくなっており、玄関ではビニールシートを貼る作業が行われていた。この病院は専門病院なのでコロナ感染症は受け入れないとのことである旨掲示されていた。ちょっと体がふらつくがまあどうということもない。
浅草橋に出て駅近くで昼食とする。イタリアレストランでスパゲテイとビールである。病院の食事とくらべると格段においしい。ビールが飲める、喉越しがいい。ばあ様のおごりである。「お酒は飲めますか」と先生に聞いたところ適度ならいいですよとの返事であった。「次に手術を受けるころはいないでしょうから」という。”いないでしょう”とはお亡くなりなっていますよ(寿命で)ということである。
昼食後に定宿となっているウイークリーマンションにチェックインする。5時半過ぎに出かける。退院記念に駅前通りの向こうにある前回ヤキトリを食べそこなった「星ちゃん」という居酒屋へいく。アルコールはあまり飲まないようにしてノンアルコールビールにする。
昨年8月からおかしくなった前立腺である。健常では51キロ少々だが、腎不全で食欲不振になり体重は一時43キロに落ち、骨と皮になった。カテーテルを入れて46キロになったところで手術ということになった。無事退院終了で7カ月ぶりの通常体である。浅草橋名物「東京メロンパン」で明日の朝食のメロンパンとクロワッサンを買う。7時過ぎにばあ様と娘は帰っていった。
2020年03月30日(月)
御徒町の民泊にいる。昨日は雪が降った。東京は1cm積もったという。桜の花に雪が積もったのは数十年ぶりとのことであるとのこと。
今日は一転して暖かい。コロナだと言って部屋にこもっていても気が滅入るのでセブンでパンとコーヒーを買って近くの公園で花見をする。そこそこ大きな広い公園であり桜の木が数本あり、これがちょうど満開となっている。いや実にきれいだ。花見なんて30年ぶりくらいか。隅田も上野もしょぼかった。ここで久しぶりのあでやかな舞い散る桜の姿を見た感じがする。案内板によれば以前ここに小学校があって廃校になったという。その校庭が公園になったらしい。隣接して中層の建物がある。校舎のあったところだろう。区役所の出張所とか文化センターとか資料館とかいったたぐいのものだろう。表に回ってみた。アレー!、テレビでよく見る映像風景が目に入ってきた。ここは東京ではじめて病院クラスターが発生した永寿総合病院であった。私はその病院横で花見を楽しんでいたことになる。小説より奇なり、である。志村けんが昨夜亡くなったそうである。
今日は手術3週後検診の日である。
病院では尿検査、エコー検査をする。先生の話では良好とのこと。血尿が出ることを言ったら自然に止まりますが薬をだしてもいいですよ、という。薬はいらないと断った。
次は3カ月後検診で6月中頃になるが状態が良好なら検診は不要とのことであった。頼んでいたおいた診断書を受け取った。
2020年04月07日(火)
西新宿の民泊である。今日非常事態宣言が出されるという。ばあ様には今日、明日、明後日は来なくていいとLineした。3日間の一人暮らしになる。
非常事態宣言が出たようである。正確な発令時間は放送していない。記者会見をした時の時間は16:42とでている。
止まっていた血尿が出始め、少しづつ多くなってきているので金曜日の予約がとれるか娘に頼んだ。今日は手術からちょうど1カ月目になる。10日金曜日の予約がとれたとのこと。
2020年04月10日(金)
板橋病院には1時半ころに着く。
エコー検査がメインである。待合室は患者の山である。これまでで一番の混みようである。コロナのせいで外出を控えた人が、休みを利用してそれはとばかりに普段なら行かない病院に押しかけたといった雰囲気である。
私の問診は僅かな時間で終わった。腎臓と泌尿器は正常であり「手術は成功」とのことである。血尿は薬を飲みながら様子見になるという。終わったのは5時過ぎ。午後一で行ったが最後の患者になってしまった。近くの薬局によって薬をもらう。
2020年04月11日(土)
西新宿最後の日である。6時半頃起きる。昨夜は疲れたのかよく眠れた。と言うよりトイレに行く回数が2度ほどであったことによる。もらった薬を見てみた。血管を強くする薬と炎症をやわらげる薬で、どちらも出血を止める薬である。3番目は抗生物質で細菌の感染を抑える薬だとある。この抗生物質は2月1日にマツモトキヨシでも5日分もらっている。そのときは自己導尿カーテルになったための感染防止である。今回は7日分である。昨夜薬を飲んだが今朝は血の量がおどろくほどに少なくなっている。薬の効きすぎか。ちょっと怖いな。
<< 了 >>
【==手術資料==】
A]:手術を受けられる方へ
C]:接触式レーザー前立腺蒸散術













