2019年 ■■□□闘病往来記 2019年10月--2020年2月

●福岡から熊本へ旅程


[注:旅行メモよりダイアリーを起こし、編集して原稿としています]



[注:◆このマークはメールをコピーした表示です]

[注:自己所有以外の画像はgoogleから借用しています]



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   2019年10月

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2019年10月01日(火)

 クランベリーのエキスである「Ellura」は7錠、1週間分残っている。

 ついに10月になってしまった。27日には日本へ発たねばならない、それまでにどれほどの回復が見込まれるのだろうか。

  フジマート、オーストラリアフェアーでは筋肉痛は相変わらずで、びっこをひいてる感じである。昼のウドンは8割ほどの食欲である。帰ってきてパイ缶を少々食べる。

 週末からガソリンが上がるというので、united24で入れた。



2019年10月02日(水)

  吸水パッドが横漏れした。なかなかうまくいかない。ちょっとしたテクニックがいるようである。

 10km走りをしたのが先週の今日(9月25日:水)。ということは丸一週間たっている。普通なら収まってもいい筋肉痛が今回ばかりは終焉の気配がない。神経痛は収まった大腿部の筋肉痛はいまだ健在である。筋肉痛であるから体の現在の状況とは深くかかわってはいないはずである。筋肉疲労が抜けないということである。そこまで老いたかということにもなってしまう。

 昼過ぎにマキシモアに先日の残りの修理をしてもらうために出かけていく。ものの15分ほどで終わる。次の点検は「1104、000km」になる。

 帰りにハーバータウンへ寄る。

 日本では娘は仕事で一日遅れで九州に来るという。息子は台湾から来て福岡空港で合流するとのこと。



2019年10月03日(木)

 ちょっと歩いてみた。ダメだった。右大腿部を引きずる形でとても無理である。なんとか2,3分ほど歩いたがそれが限界であった。今日は一日家にいた。動くことができない。

 旅行の予定をホワイトボードに書き込んだ。出発の日までに体がどこまで戻るか、あるいは悪くなるのかである。

 


2019年10月04日(金)

 夜尿は3時頃までとその後に分けられるが、昨夜は前半にとんでもない大きな波がきたようである。何しろ夢のなかにまで出てきた。量が多かったので横漏れを起こし2時半頃に吸水パッドを交換することになった。ストックの関係で一日1ケにしているが、昨夜は2ケになった。後半の尿量はそこそこである。

『◆息子から: まだまだ大変そうですね。

 サプリメントや漢方薬は長期的な予防や管理にしかならないと思うので、即効性を求めるならもう一度お医者さんにかかって処方薬を貰ったほうが良いかも知れませんね。

『◆息子へ: 平成が終わり、令和がきて、時の流れというものを感じたとおもったら、自分それに合わせて一気に加齢の時代に入ってしまったようです。

 毎週20キロ走っていたあの頃の元気な営みはなんだったかと、フト思ったりもします。まあ、時の流れ・人生というものはそうやって進むのでしょう。

 以前から身辺整理はついていますし、「いつでもどうぞ」という気分で生活していますのでアタフタすることもないようです。

 おそらく今度の旅行が最後の海外旅行になるだろうと思っていますので、なんとかうまくオーストラリアに戻ってきたいものだとも思っています。

 ラナウエイベイへ行き、ボーダフォンでスマホのリチャージをする。1年間40ドル。パーマシーで吸水パッドを購入する。日本へ行く前にやっておかねばならぬことは、旅行用にジーンズをユニクロあたりで購入すること、だろうか。。



 

2019年10月05日(土)

 吸水パッドの手当の段取りがわかったので、さっそくこちらのものを試してみる。買ってきたのはどうも容量の小さいものであったらしい。パンツ自体は既存のものを使う。夜2時に一度交換する。6時前には飽和した水分が前方からパンツに滲み出てきた。横漏れはなかったが、前漏れは少々びっくりした。吸水パッドには粘着テープがついておりパンツに貼り付けて使うものである。

◆息子から:10月4日(金) 19:16 (12 時間前)

  何やら色々と面倒そうですね。まあ、歳を取ればガタもくるでしょう。

 数字は違いますが、僕も最近は二十代の頃のように大食い出来ず、もともと弱かったお酒もほとんど飲めなくなりました。折角飲食が安い国(台湾)なので、残念な限りです。

 やる気はそがれてる事だと思いますが、家でくさくさして余生を過ごすのも勿体ないので、折角なら無理のない範囲でランニングなり散歩なり継続されたほうが良いと思います。

 もっとも僕もサーフィンするにも片道3時間以上かかるので、もっぱらアパートのジムで運動不足解消している次第ですが。 たまにゴールドコーストの運動に恵まれた環境が恋しくなります。

ではでは月末に。

◆息子へ: 週一でフジマートへいきますので、これまで2Lの箱の酒を2本(4L)買ってきて飲んでいました。今は半分も飲めないです。これはやむ得ない。といってもお酒が好きで好きでたまらないというわけでもないので、口を潤す程度に呑めればそれなりに満足できる、というところでしょうか。

 昨日、パーマシーへいって吸水パッドを購入しました。その前にネットでこちらと日本とに検索をかけて情報を見てみました。それなりにわかったことは、日本はこの筋のモノがあふれており相応の商売が成り立ってるということです。介護産業が大きな裾野を持って成り立つということは、日本はすこぶるの老人国家である、ということでしょう。表面的には「リタイメントビレッジ」とか「エージケア」とかあって、それなりなのかなと思っていましたが、やはりオーストラリアはまだまだ若い国です。

 ではまた。

 フジマートへ行く。

 夜はカバチ屋へいく。おにぎりを2ケ食べた。今の食欲では1ケで十分だろうと思っていて、残りの1ケは持って帰るつもりであった。ところが2ケ食べることができた。こんなに食べたのは数日ぶりのことで、腹の中がどうなってしまうのか心配になる。


 

2019年10月06日(日)

 夜3時頃にパッドを交換する。この時間くらいがいいようである。交換するとボテボテのパッドが軽くなり気分的に開放的になる。交換方式にすると朝はこれまでの6時かから7時ころまで時間が伸ばせる。その分睡眠時間がのびるというものである。一夜2ドル50セントとすると一週で17ドル50セント.つまりは箱の酒1本分をこちらに振り向けることになる。まあ。お酒はセーブしないといけないと思っていたところなのでいい理由付けができたといったところだ。

 昨日、府中で法事があり、そこでの話ではナオミ夫妻がケアンズからブリスベンに引っ越してくるという話がどうも本格化しているという。5月の話ではもう少しケアンズにいると言っていたが、状況が変わったのだろう。少なくともケアンズよりもブリスベンの方がなにかにつけて正解だと思う。あの元気過ぎるサラやカイがブリスベンにくると来年からの静かな日々を期待していたのに、ぶち壊されるのだろうかと思ってもみる。

 昼は焼きそばでこれまでと同じ量食べられた。昨日の夕食といい、食欲が戻ってきているようである。

 ラナウエイベイへ行ったので、スーツケース屋を覗いた。ここはダメだ。品数がすくない。ハーバータウンへいったときまた見てみよう。



2019年10月07日(月)

 パジャマ・ジーンズ・シーツと大洗濯である。

 日本行きまであと20日になってきた。尿関係はあきらめているが、筋肉痛その他の症状は収まってほしいと思っている。出発までは決して無理をしないこと、これが肝要である。帰ってきた時は一人静かに暮らそうと思っている。

 


2019年10月08日(火)

 現在の調子では飛行機に8時間乗るというのは相当につらい。そのことを考えると目の前が暗くなってくる。すくないとも3回、あるいは4回といったたびたびのトイレ行きでは周辺の乗客に迷惑をかけることになり、わずらわしい。などなど考えると今度の日本行きは最後の海外旅行となり、もう旅行に出ることはないであろうと思ったりもする。平均寿命は81歳だというから、70歳代が死に時になり、あと5年となる。いいところである。「令和、残りの時」をどうするかである。

  体重を計ったら「48kg」丁度であった。前回10日ほど前になると思うが、その時は49kgであった。48kgは少しやせたかなといったところだろう。筋肉痛は相変わらずである。大腿部、股関節、横腹、下っ腹など運動によって生じる筋肉痛である。すでの2週間になるが、痛みは引いてくれない。なをついでに軽い頭痛もある。

 オーストラリアフェアーのK・マートでCDの交換をする。同じものを交換しようと思ったがモノがなく、元金での交換となった、$28ドルの戻りである。

 床屋へいく。相変わらず食欲はない。今日の外出にはじめて吸水パッドをつけて出かけた。テストを兼ねている。日本にいくまでにいろいろ慣れておかねばならぬことがある。

『◆娘へ: いろいろご苦労様です。こちらはどんどんきつくなってきます。ばあ様は日本にいる間に一度医者へ行け、とのことです。そんな時間的余裕があるかないかまるで見通しが’たちませんが。

  11月3日にお茶の水に泊ります。11月4日(月)に区役所へいき健康保険証を取得して、その日のうちに7日に予約を取れたらな、と思っているのですが。11月5日(火)に清水家の墓参り、11月6日(水)に高橋家の墓参りをします。7日の夜はゴールドコーストへの帰国になりますので、7日一日ということになりそうです。果たしてこんな日程で医者の予約が取れるのでしょうか、ちょっとトライしてみてください

 症状ですが、8月17日に鼻炎(日本製)の薬を飲んだらこれで排尿困難という副作用が発生し、ここから苦しみが始まります。医者へ行ったら尿路感染症という判断で抗生物質を処方してくれました。でもこの診断が気に入らなく、血液検査と尿検査をやってもらい、前立腺肥大の可能性ということで、チェックしてもらいました。一週間後に検査結果出て、血液も尿もノーマルということになりました。よって感染症ではなくやはり前立腺肥大ということになりました。排尿困難は収まりましたが、夜は漏尿で、昼は15分くらいでトイレにいく始末。さてさて、これからどうなるのか。

ちょっと骨を折ってください。

『◆娘:10月8日(火) 17:23 

 神田にある専門病院が4日もやってるみたいだよ。予約必要って書いてないから、午前中に健康保険証もらったら午後に行けばいいと思うよ。



2019年10月09日(水)

 筋肉痛が収まりつつある。その分いくらか体調もいい。久しぶりの体調となるかもしれない。気分もそれにつられて少しいいようだ。パシフィックフェアーへ行く。ゆっくりだが歩けた。

 ユニクロでジーンズを買う。60ドルである。高い。Kマートやターゲットでみているのだが思ったモノがない。このユニクロのも気に入らない。でも日本行きの日々が迫っているので、安全パイとして買った。それまでに探しあてたらのりかえようと思っている。ジーンズはいつも25ドル前後だから、ユニクロのは倍値段になる。

『◆娘へ: ありがとう。 4日に保険証を取得できたら、その足で行ってみることにする。11月4日とオーストラリアへ帰る7日のこの2日間は時間がとれます。是非とも日本の専門医に見て欲しいです。なんらかのアドバイスを得て帰りたいです。吸水パッドはそこそこのものがパーマシーに売っていました。性能についてはいまいちですが、似通ったものが手近ですぐに手に入るというのは本当に心が休まることです。なを、病院には事前に問診表をインターネットで送る形になっていますので、日本にいく直前にでもそのときの様子を送るようにします。 では、よろしく。



2019年10月10日(木)

 昨夜は2回取り換えた。10時---1時---4時---7時で、1時と4時で、ほぼ3時間である。これだと心理的に非常に楽である。尿漏れの心配を全くしないですむ。

 今回の旅行は、日本へいくまで、飛行機の中、旅行中、ホテルで、帰りの夜の飛行機などと困難山済みの旅行である。どうなるものなのだろうか。何とか帰ってきたいと思っている。

 夜はカバチ屋でおにぎりとする。



2019年10月11日(金) 

 娘から小包でいろいろ届く。「八味地黄丸」「ノコギリヤシ」、それに非常にたくさんの吸水パッド。

『◆娘へ: まあ、いろいろありがとう。箱を開けてぎっしり詰まった吸水パッドには驚きです。吸水パッドにたよることの多い日々になっていますので、この小包は感激です。

「ゆる旅のしおり」も傑作ですね。見てて面白い。これを作っていた時はまだ決まっていなかったと思いますが、次の2つの航空便は決まりましたでしょうか。

  1:成田ー福岡 便名:出発と到着時間

  2:熊本ー羽田 便名:出発と到着時間

  分かり次第早目にお知らせください。お疲れ様でした。

  早速、「八味地黄丸」の服用を始める。漢方薬なのですぐにどうこうという結果は現れないだろうが、少なくともいまより悪くならなければいい。

 昼は昨晩のかばち屋のおにぎりのおいしさが口に残っていたので、またこれを食べにいった。昨日は鮭であったが、今日はばあ様と二人で明太子と高菜である。食欲が失われている今、食べられるものを食べないと体がもたないような状況である。



2019年10月12日(土)

 相変わらずの体調である。あと日本行きまで2週間である。カウントダウンに入ってきた。

『◆娘から:

 間に合うか分からないけど今日「最新版のしおり」を送ったよ〜

 便名が書いてなかったね。添付するね

『◆娘へ: 便名は確認しました。メールの内容から見ると、スケジュールにはそこそこの変更があるようですね。実際そういうものですが、終わってみてはじめて正確な旅程が決まった、なんてこことはあたりまえのことです。

 テレストラへの支払いを行おうとしたら、バンクアカウントからできなくなってしまっている。カード払いとなりマスターカードから支払った。年取るとルーチンワーク化したものの変更は面倒である。

  またエデイタのプリント出力ができない。過去2回はなんとかだしたのだが、その出し方をメモっておけばよかったと思う。後の祭りだ。そのうち思い出すだろうか。

  昼夜、おにぎり。いまたべられるのはおにぎりだけ。

   夜、便所が詰まる。これは困った。



2019年10月13日(日)

  下水のつまりで庭はびしょびしょである。

 ラナウエイベイへ行く。

 今日は少しだがいろいろ食べられるようになった。



2019年10月14日(月)

 ランドリーに水があふれてきた。ガーデン側の排水周りを掃除して、ばあ様がマネージャーに電話で「エマージェンシー」を入れた。1時過ぎに水道屋がやってきた。いつものように隣の庭の緑道側のパイプ栓を外していろいろ作業していった。我が家の下水の詰まりは過去すべてここを修理をすることで回復している。どうもここが元凶ということのようである。小1時間ほどの作業で終わり、帰っていった。

 夜はスシトレインへ行った。


2019年10月15日(火)

 フジマートへ行き、オーストラリアフェアーへ行く。


 吸水パッドの交換が頻繁になる。一日8枚なら、一日10ドルになる。日本までカウントダウンに入っているが、状態は少づつ悪くなってきている。



2019年10月16日(水)

 昨夜はこれまでで最も頻度が高かった。八味地黄丸は今日でやめる。症状の回復がまるでない。ノコギリヤシを飲んでみることにする。

 ハーバータウンでスーツケースを買う。79ドル。でも小さい。吸水パッド専用でこれに詰めていき、帰る時は娘にあげてしまおうかと思っている。


 夕食はほぼダメ。食欲がない。



2019年10月17日(木)

  ラナウエイベイで吸水パッドを買う。カードをくれた。6回分(48枚)買うと6回目がタダになるというカードである。計算してみる。ハーバータウンでは6回分で48ドルである。ランナウエイベイだと50ドルになる。まあ大きな差はない。

 今日も夕食はダメである。一日2食だから、夕食を食べないと日に一食になる。食欲はきれいにピタリと止まっている。でも何か食べないといけないので最小限のものを腹に入れている。食べるものにまったく味がない。

  


2019年10月18日(金)

 10月はじめ頃の体重は48kgであった。今日は計ったら45kgである。どんどん落ちている。一日おにぎり1個といったところが食事なので止む得ないことだろう。どこまで落ちていくのであろうか。体がもつか。

 サウスポートで吸水パッドを買う。

 

2019年10月19日(土)

 ノコギリヤシを飲み始めたのが16日で3日前、今日で4日目。血圧が急激に下がった。それまでは「160」前後であった。16日の夜は「149」である。今は朝方は「130台」夕方は「140台」である。ノコギリヤシは前立腺肥大に効果のあるサプリメントということなので、この血圧症状は前立腺肥大にからむものかもしれない。トイレで出る尿の量が増えている。

 アルデイ(ALDI)でジンジャーエールを買った。これまで歩いて5分もかからない斜前にあるアルデイすらも行けなかったのだが、今日はいくらかでも体が動く。だが体はフラフラして危うく車にぶつかりそうになった。


『◆娘へ: 八味地黄丸を1週間ほど飲んだがまるで反応がない。ノコギリヤシを飲み始めたら血圧が「20」ほど下がった。ということはやはり前立腺肥大にからむ症状ということが言えそうだ。帰国時に2ケ月分ほどもって帰りたいのでよろしく。

 ハーバータウンのケバブを食べた。半分でギブアップである。ここでも吸水パッドを買う。

 本当に久しぶりに湯船につかった。最後は9月25日の10km走の時だと思う。7週間ぶりといったところになる。風呂に入れるくらいにはなってきたということでもある。

 湯上りの体重は44kgであった。8日は「48kg」、18日は「45kg」、19日は「44kg」ということになる。49kgが標準範囲「50kg+-1kg」だから’、ここ10日ほどで急速に体重が落ちている。5kgつまり一割も体重が軽くなったというか、体重がなくなったというか、体重が消えた、という感じである。

 今度の日本行きは「生身でのラストミッション」で、帰ってきたら「故郷への旅路に」出ていくことになりそうだ。食欲不振、体重低下、昼間はうつらうつら状態、そして吸水パット状態など、そろそろ「”生”ともさようなら」が近いのかも。



2019年10月20日(日)

 ノコギリヤシでストンと落ちた血圧がもとに戻り始めている。

 アルデイへジンジャーエールを買いにいった。出かけたのはそれだけ。飲み物はジンジャエールだけになっている。それしか飲めない。

 夜のシャワーのあとの体重は45kgである。



2019年10月21日(月)

 朝方の体重:「44kg」。44---45kgぐらいが今の状態のようだ。

 カウントダウンは1週間を切った。

  今回の旅行はばあ様の「古希の祝い」であるが、というより私にとって最後の家族旅行ということになりそうだ。これで終わりということでもある。イタリア旅行でもわずかだが家族で動いたことがある。それ以来である。おそらくもうこういう機会はないだろう。

 そして、義兄と姪シズカの墓参りである。昨年の葬儀はビザ更新ミスということで出席できなかった。これをどう判断するかである。強いていえば「自然は私の葬儀への出席を拒否した」ということになる。やはりシズカをあの世に連れ死にするというのは許されることではないという義憤がある。義兄への印象はどうもこのことから良くなくなっている。というより悪い。死んでしまった人をどうこう言っていいわけないが、どうにも心がおさまらない。

 そして最後は日本の病院へいくことである。とりあえず一度専門家にみてもらって、症状がよくならないようなら、静かに死出の旅路にということになろう。ありがたいことに四半世紀外国に住んでいると、人間関係は全くといっていいほど希薄になっており、「生」に対する執着がなくなっている。穏やかに安心して故郷(あの世)に帰れそうである。

 娘から小包が届いた。旅程の最新版「~ゆる旅のしおり~」とパンツ&吸水パッド、それにヒートテックの下着である。吸水パッド系の用品はこれでフルであろう。もうパーマシーを探して回る必要はない。

  トレージャーアイランドのスシトレインへいく。ここはちょっとひどすぎる。最後のスシトレインになるのにこのサービスは気が重い。

 空港へのチャーター便を頼む。2人で58ドルとのこと。タクシーだと100ドル以
上はかかる。朝の6時40分ころ、ゲート前で待つことになった。



2019年10月22日(火)

『◆娘へ: 小包、受け取りました。痒いところに手が届くような配慮いたみいります。「~ゆる旅のしおり~」で旅の概要が浮かび上がってきました。今回はおそらく最後の家族旅行になるでしょう。体調がもう少し良かったらなどと思ってしまいます。病院の案内、ならびに東京の路線図もありがとうございます。四ツ谷---新宿間の地下鉄を除けば東京では20数年ほど乗ったことがありません。ラッシュにぶつかったら目的地にたどり着けるか心配です。 

 ここ10日ほどで体重は5キロ落ちました。ばあ様の歩きについていくことができません。端的に言えば「病身」です。路線図をにらめっこしながらの冒険になりそうです。ではまた。

 昼はフジマートのあるサウスポートパークの魚屋のフィッシャーバーガーである。量が大きい。経営者は日本人だがバーガーの大きさはビッグである。夕飯はいらないほどだ。これが食べられたので十分で、やはり夕食抜きになってしまった。ちなみにばあ様も同じ。 




2019年10月23日(水)

 スーツケースの詰め込みを始める。小物が多いこと、病身対応でモノが増えていること、日本の気温が分からないので下着は長袖になること、などいろいろ気を遣う。考えてみればオーストラリアで長袖を着きたことはない。どうなるのだろう。まるで先が見えない。

 youtubeで令和天皇即位の議を見る。

 ラナウエイベイへいく。 


2019年10月24日(木)

 死のイメージが湧いてきた。「栄養失調により倒れる」である。このところの食欲不振は一ケ月ぐらいになるのではなかろうか。なんとか食べて体力を保持しているが、歩くとばあ様にまるでかなわない。日本から帰ってきて一人暮らしになると食欲がおちたらそのままであろう。なるべくオニギリをたべるようにして、そのほかはチョコレート系統でカロリーを補強することになる。それも長くは続かないだろう。

 「倒れる」といってもパソコンの前で眠るように息を引き取るという姿だ。栄養失調で死亡なんていうのはあまりに寂しく非現代過ぎる。小さいころ体の不調で医者に往診してもらったことがある。診断は「栄養失調ですね」と言われた。そのころは戦後であそこにもここにも栄養失調の子どもはいた。めずらしいことではなかった。いまでは点滴でいくらでも栄養失調などは回避できる。イメージとしての死が形をとりつつあるのかなと思ったりしている。

 11月4日に区役所へいって保険証をもらう予定であったが、これが振替休日とのことである。また話がどんどんおかしくなってきている。

『◆娘: 病院は11月4日の14:30に予約してあるよ。検査をするから本当は10:30に来てもらえるのが一番いいらしい。当日保険証が早く手に入ったら、電話して予約早めていいって言っている。午前中の診療は11:00が受付最終らしい。』

『◆娘へ: いろいろありがとう。パスポートと委任状で保険証が取得できない場合のことをいろいろと考えています。

1」:火曜日に取得して水曜日に病院にいく。

  この場合、シズカの墓参りは火曜日、ないし月曜日になる。もし高橋さんとの連絡があるなら、強制的に変更してもらう。高橋さんが無理な場合は墓参りだけさせてもらう。

2」: 火曜日に取得して木曜日に病院にいく。

  この日の夜には成田を経つので診てもらうだけになる。木曜日は10時になるとのことである。

3」:10月28日、に区役所へいき保険証を取得する。

  病院は11月4日の月曜日にいく。九州旅行は私は一日遅れになる。問題はこの日、初日の宿泊地の「花ベップ」への便があるかないかである。

4」:保険証なしで病院へいく。

 この場合、受け付けてくれるか、あるいはどれほどの金額をとられるかである。3」でかかる費用にプラスアルファくらいなら、十分ペイしますので、この案もありかと。金銭的にはやむをえない判断すべきでしょう。

などを考えています。

 この4つの案のなかでは1番目が、もっともイージーだと思っていますが。3」案はちょっとむりかも。もちろん委任状で保険証を取得できればこれにこしたことはないのですが。代案を考えてみましたがこんなところです。よろしく。

 委任状の件は娘ではなくばあ様の姉のヨシコさんにやってもらうとばあ様が言ってきた。ヨシコさんに頼めれば1週間の余裕がある。区役所のサイトから委任状をダウンロードして委任状を作った。

『◆娘: もし保険証ゲットできなかったら火曜に取得して火曜に行けばいいんじゃないかな。約束の時間を午後にすればいいと思うよ。8:30前に役所に並べば10:30か11:00には病院に行けると思う。』

 隣に重機が入って庭を掘り返している。下水詰まりの根本的解決にむけての処置をするようである。どうも隣の家も詰まっているようである。まあ、そうなるわな。

 息子のフォードを走らせた。30キロ以上走った。バッテリーのチャージである。向こう2週間は置きっぱなしになるので放電してしまわないようにとの安全対策である。



2019年10月25日(金)

 体重:朝方43kgになる。18日=45kg、21日=44kgと落ちていき、ついに43キロにまでになる。歩くのもかったるい。腹は筋肉が弛み、縦しわがよっている。

『◆娘へ: いろいろありがとうございます。火曜日の清水家の墓参りは動かしません。というのは病院が「火曜の午後は休み」となっており、時間的に無理があると思われるからです。火曜日に保険証を取得するスケジュールなら水曜日になると思います。先の案の1」になります。

 なを、ばあ様が委任状による保険証の取得はヨシコさんに頼むと言っており、区役所のサイトから委任状をダウンロードしました。結果としてうまくいくかはわかりません。もしダメなら、先の代案となるでしょう。

 前立腺症とは別に、食欲失念の症状が出ており、10月8日に48kgだった体重が、18日は45kg、21日は44kg、今日25日は43kgでした。身体はパワー不足状態で、歩くのもおぼつかないです。歩くとばあ様はさっさと行ってしまいこれに追いつけません。食欲はほとんどなく、それでもなんとか腹に詰め込むようにしていますが、なかなか無理があります。栄養失調で倒れたり、意識が遠のいたりしないように気張っています。日本から無事戻ってくることがいま、最大のミッションになっています。

 食欲がないというのは空腹ではないということではなく、体が食べないことに十分満足してしてしまっているのです。これは面白い経験です。半月で5キロも体重が落ちるなんていうのも、もちろんこれまで出会ったことがない。一人暮らしになったとき、実際、どこまでモノを食べることができるのだろうか。ハテナです。

 車をゆっくりでも運転してショッピングセンターに行って、帰ってこられればまず大丈夫。この生存レベルを維持することが当面の目標になりそうです。言葉のロレツもときどきうまくまわらなくなってきています。痛いとか苦しいとかいった症状ではないので、お気軽にこの状態を冷静に観察して、楽しんでいる部分もあります。人間の体ってこんな風にできているんだ、とか少々感心してしまうこともあります。

 明後日は出発です。おそらく人生のラストミッションになると思います。せっかくうまいものを食べたいと思っていたのだが、この夢はかなえられそうにないようです。では、お会いできるのを楽しみに。

 病院へのメール。

『◎診療科目 泌尿器科

74歳、オーストラリア在住。ファミリードクターの前立腺肥大という診断ですが、尿漏れで昼夜吸水パッドのお世話になっており、1日数枚になります。日本にいく機会ができたので専門医に見てもらいたいと望んでいます。11月04日に予約をしてあります。

 <略>

 昼はカバチ屋でオニギリ半分。夜はエビ玉を4ケである。

 ばあ様が家のマネージャーに電話して2週間ほどホリデイで留守にすると伝える。

 


2019年10月26日(土)

 何をどうするのか、体力不足で頭がよく回らない。気が付いたときに忘れないようにすぐに処理をするようにしている。でも大きな忘れ物をしているのではないかと不安になる。   

『◆娘: その症状「低栄養」ってやつみたいだよ。運動量が減る→筋肉とかが落ちる→食欲がなくなる→病気になりやすい、の悪循環なんだって。

https://www.sagasix.jp/column/care/tei-eiyou/

 どの道オーストラリアにいても治らないなら、日本で高温度治療受けて改善させてから帰ったほうが良くない? 治療は手術じゃないから身体への負担が全然違うみたいだし。走るのが厳しくても歩く運動くらいは出来るようになってから帰ったほう長い目で見て安心だよ。運動ができるようになれば→食欲が戻る→筋肉とかの機能が改善するの好循環になるんだって。同じ生きてるでも食べたり飲んだりする楽しみはあったほうがいいじゃん。

 2週間くらい滞在延ばさない? 安くて便利なホテルならいくらでもあるよ。

『◆娘へ: いろいろ調べてくれてありがとう。ばあ様はそうしろと強く言います。まだ2週間の猶予があります。どうするか、ゆっくり考えてみます。』

  スーツケース2ケで18gであった。もし日本に4週間の滞在ならスマホが必要になるのでもっていくことにした。SIMカードを日本で交換しないといけなくなる。家賃をさらに2週間分払い込んだ。もしかしたら治療でもう半月ほど日本での滞在が伸びるかもしれないからである。

 


2019年10月27日(日)

 5時半に起きる。いよいよ日本行きである。当面の目標は何とか日本へいくことである。そして、九州は無理せず、観光は体が動かないのでやめて、温泉を楽しむことになるだろう。

 東京では医者通いになるかもしれない。

 朝6時40分、ゲート前で待っていると定刻とおりチャーターバスがきた。いろいろなところを回ってお客を拾ってゴールドコースト空港へ無事着く。

 登場手続きをして、空港ロビーに入り、搭乗を待つ。










 出発は「10:30」のジェットスター便である。時間が近づくにつれて一部の人はゲート前に並び始める。だが、小刻みに「機体整備に時間がかかっている」とのアナウンスがあり、出発の延長が伝えられる。搭乗時間が徐々に遅れていく。イヤーナ予感がしてきた。ジェットスターは代替便の用意がないためキャンセルされることが度々おこる。それを了解しての格安便である。そしてついにその不安が的中する。「機体状況の不都合により運行とりやめ」ということになってしまったのだ。つまり飛行機が飛ばない、乗れない、ということである。これは大変ことである。九州観光のスケジュールが大幅に狂ってしまう。搭乗口から一般ロビーへと逆方向へと人が流れていき、預けた荷物を回収して搭乗口から去っていく。私たちもスーツケースをピックアップして一般ロビーに戻ってくる。さーて、これからどうするかである。

 代替のスケジュールを組めるのであろうか。多くの人が列を作って、振替便や払い戻しなどの手続きをしている。となりのお母さんと娘さんの二人組は仕事上どうしても日本に帰らなければならないのでということで、メルボルン経由で2人で26万円をかけての便をとったという。私は今日の出発はとりやめラブラドールの自宅で過ごすことになりそうだと思い始める。とはいえ明日の便がとれるわけでもなく、スケジュールが一日ずれると九州のホテルの宿泊予定が狂ってくる。

 予定では今日の便で成田にいき、成田のホテルで一泊して明日の早朝に福岡行きのジェットスターに乗る予定であった。いろいろ思案したが、ゴールドコースト空港からの便は何処へいくにしてもおそらく席はとれないであろうと思う。もし日本に行ける可能性があるとしたらこの空港は諦めるしかない。ブリスベン空港を利用する手段に切り替えるしかない。もしそれができない時は、旅行は明日以降に持ち越されることになる。その場合どうなるのかは全くわからない。ばあ様がスマホで現在の状況を娘に伝えている。思いだしたことがある。以前この旅行計画が浮上したとき、なにも成田へいくことはあるまい、ブリスベンから直接福岡に飛んだ方が便利だろうと思い調べたことがある。ところが台湾での乗り換えが必要とのことで、なら成田と同じだ、となりボツになったことがある。もしかしたら、これが使えるかもしれないと。

 娘にブリスベンから福岡に飛ぶ便をおさえられないか調べてくれるように頼んだ。今日は日曜日なので娘に時間があった。待つことしばらくである。チャイナエアーで席がとれたという。なんとも好運である。地獄で仏である。さらにはGC-成田便、成田ー福岡便の払い戻しでほぼ同じ金額だという。成田ー福岡便はGC-成田便のジェットスターの運航停止により払い戻しに応じてくれたという。成田のホテル代は現地払い(2人で8,800円)なのであるが、キャンセル料がかかるという。これはしかたがないだろう。チャイナエアーは土壇場での救いの神である。これで何とか九州旅行は実行できそうである。

 スカイバスとタクシーで自宅へ戻る。ブリスベンの出発は夜の11時近くである。まずは一休みである。この休みは体にとってありがたかった。波乱のジェットスター・ゴールドコースト空港はきつかった。ブリスベンには鉄道でいくかドア・ツー・ドアのバスでいくか、という判断が出てきた。どうも今日はツイていないので電車で行きたいが、動き回ることはできないほどに疲れているのでバスで行くことにする。自宅前から空港まで直通であるが、途中での事故についてはバス会社は責任を持たないという。不幸は続くものだから、ドキドキしていたが無事にブリスベン空港へついた。
 搭乗手続きをして、やっと一安心である。これで日本へ行かれる、という半分の安心となる。夜も遅いので店はほとんどしまっており、寿司屋が開いていたので巻物を買って遅い夕食を軽くとる。ほぼ深夜なのでガラ空キの飛行場である。

 飛行機に乗り込む。乗れた。これで日本に入れる。満席でありよく2席とれたものだと思う。ラッキーとしかいいようがない。この時間でも機内夕食が出る。でも食べれる状態ではないのでパスする。  

 ■■以下はこの日の走り書きのメモである■■
『朝、6:40~6:50 チャーターバス。サーファーズ・ブロードビーチを回って1時間15分ほどで空港へ着く。9:50 ボーデイングが大幅に遅れる。11:25 に変更。さらに遅れる。最終的に運休となる。そのまま空港を出る。

●ブリスベン 23:10 チャイナエアー

●台湾 5:50 着

●台湾 6:50 発 チャイナエアー

●福岡 9:55 着

 代替案でブリスベンから直接に福岡へ行くことになる。台湾経由で一人30,000-(円)ほどである。』



2019年10月28日(月)

 別府温泉 ホテル 花べっぷ 一泊目

 台北空港で乗り換える。ここの空港は分かりにくい。危うく乗りそこなうところであった。ただでかい飛行場を造っただけで、機能とか、旅客の動線とかがまったく考慮されていない。北海道へ帰る男女の若者も分かりにくさで閉口していた。お客様のことがまるで配慮されていない空港である。迷いながら最後に搭乗した乗客として機上の人となることができた。福岡行きはガラガラである。2,3時間ほどで福岡に着く。

  24時間のドタバタであったが何とか日本へ九州にたどり着いた。

 福岡空港には息子が迎えにきていた。博多に出てまずは郵便局へ行き、パスポートを四ツ谷へ書留で送る。健康保険証の発行をしてもらうためである。九州旅行をしている間に保険証が発行されれば、これにかなうものはない。地下街でまずは一息して体を休める。九州に入ったという感慨をかみしめる。肉体的にも心理的にも疲労満載である。今倒れてもしょうがないかな、といった心境である。気が緩むとそうなりそうな気分である。

 さてこれから九州旅行が始まる。

 博多から別府まで特急電車で行く。ソニック25号という。2機種あるがどちらかかはわからない。調べようとも思わなかった。乗り込むだけで精一杯である。


 途中「中津」を通過する。中津といえば「解体新書」を訳した前野良沢の出身地であり、同時に福沢諭吉の生地でもある。日本の近代学問の発展はこの二人によって築かれたといっていい。解体新書は日本科学の歴史の巻頭を飾る圧倒的な学術書である。この一冊のオランダ語の和語訳本をもつことによって日本は
西欧文明への窓をこじ開けたといっていい。前野良沢は日本で最初に西欧を手元に引き寄せた人物でもある。ちなみに杉田玄白は出版人であって、翻訳者ではない。蘭語を英語の風潮に引き継いだのが福沢諭吉である。九州旅行の話が出た時「爺さんは何処へ行きたい」という問いがあった。「中津」と答えると、「それ何処」ということになり、すぐに却下された。まあ、著名な観光地ではないから無理な話ではある。だが中津は日本の学問史上絶対に看過できない場所である。ちなみに中津藩の始祖は黒田官兵衛である。今日はただ通り過ぎる中津を車窓から眺めるだけである。

 駅から数分の「花べっぷ」というホテルに入る。ここで二泊の予定である。


 夜、別府の町に出て居酒屋に入る。調べてくれた娘が推薦する店「ろばた 仁」はお休みだったので、その近くの店にした。私はそばで摘まむだけ。ばあ様の評価ではやはり福岡名物の明太子が格別においしいという。















2019年10月29日(火)

 別府温泉 ホテル 花べっぷ 2泊目

 別府の「地獄めぐり」へいく。



 息子がTシャツを買ってくれた。「毎日が地獄です」というのはあまりに今の私にドンピシャなのでこれはやめて、「もう疲れました」という少し穏やかなものにする。地獄めぐりは歩かないといけないので、「もう疲れました」で、さっさと店に入りアイスクリームを食べる。

 ちょっと離れたところに「間欠泉 竜巻地獄」というのがある。ほぼ30分毎に噴き出してくる温泉である。これが一番印象に残っている。動きがあるということで思い出に残るのであろう。別府の地獄めぐりと言うのは高校の夏休みのとき同級生3人で一週間の九州周遊をしたとき来ているが、何しろ60年近く昔のことで何も覚えていない。


別府温泉 地獄めぐり一遍上人ゆかりの湯 NHK2015年に放送


 別府駅に戻ってきて、とろろウドンが食べたくなって駅ビルの食堂に入る。とろろに覆われたウドンならスルッと喉を通る。食べたいとき食べておかないと食欲が出るときなどほとんどないのだから。

 
夜に娘が到着する。これでオーストラリアから、台湾から、そして東京からで家族4人が久しぶりに顔を合わせることとなった。

 花べっぷでの二泊目である。夕食はここで摂る。九州での最初のホテル・デイナーである。

 ばあ様の「古希の祝い」である。 

2019年10月30日(水)

 湯布院 民泊1泊

 娘がレンタカーを借りる。息子は免許証を持参していないので運転は娘まかせになる。まず「高崎山の猿」を見る。ここも高校生の時以来になるのだが何も覚えていない。息子だけがしっかり飼育員の話を聞いている。始めにいた観光客はみな散らばって消えていた。



 夢大吊橋を見学する。みなは渡り切ったが、私は中央部分で動けず引き返す。400mほどの橋なので普段ならどうということもないが、いまの私では無理。



 湯布院の民泊へ泊る。湯布院はまるで古き昔の住宅地のようである。細くくねくねした道筋があり、そこに温泉が出て、民泊がはりつくように並んでいる。驚くことにその庭に温泉があるのである。時期が時期なので民家での野天風呂とは行きにくい。それでも息子は入っていた。

 便所のドアが閉じたまま開かなくなってしまった、というアクシデントが発生する。閉じ込められたのはばあ様である。いろいろやったが開かない。連絡して業者にきてもらって何とか事なきをえる。これは笑える珍事である。

 夕方、湯布院を回ってみるがこの町は女性向で私にはちょっと合わない。いろいろ廻ると見るものもあるようだが、どうにも体調が悪く歩くのも面倒になる。歩くのもつらい状態では観光地を回ると言うのは辛痛以外の何物でもない。もうちょっと元気があればと思うが。夕飯を食べるべくばあ様と娘は残ったが、私は息子に連れられて民泊にもどり、ベッドに入る。おでんと焼き鳥を少し買ってきてもらい、それを食する。




2019年10月31日(木)

 黒川温泉 瀬の本高原ホテル 一泊目

 車で湯布院をめぐるが、ここは娘の運転技量では難しい路地道が多い。その後、黒川温泉へ向かう。

 瀬の本高原ホテルへ入る。ここは二泊である。素晴らしい風景である。目の前に高原がズーとつながっている。うれしくなるようなパノラマである。なんでも元は簡保の保養施設だったとか。バブル崩壊で民間に経営が移ったということである。


 夕方、黒川温泉へ行って食事をする。川沿いにある温泉街である。駐車場が狭いので車を出せないというので、私がすぐに出せる形で駐車しなおした。ここも道が狭いので慣れないと難しい。私たちは早々にホテルに引き上げたが、息子はここの飲み屋に入っておしゃべりを楽しんだらしい。なんでも福岡の大学の先生で、趣味で居酒屋のマスターをしている店だという。いろいろな人がいるもんだ。


 一方、ばあ様はこの高原から見る「夜空さんぽ」という企画に参加して、その美しさに感動して帰ってきた。

瀬の本高原ホテル 星空さんぽ★毎日20:15〜実施中♪

空の広い瀬の本高原で満天の星空を見渡す!天の川が綺麗に見える特等席へようこそ♪

20:15〜  ロビーにて星のお話と星座のビデオを見ます

20:40ごろ 天気が良ければ外に出て星空観察!スタッフがレーザーで星座をたどって説明します!



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   2019年11月

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2019年11月01日(金)

 黒川温泉 瀬の本高原ホテル 2泊目

 「手形温泉巡り」へいく。手形を買うと黒川温泉にある28カ処の野天風呂のうち3つに入ることができるというものである。どんなものかという興味でその一つに入って見る。でも身体が続かない。はじめの一軒だけ入って、すぐにホテルに送ってもらって終わりになる。



 あとは一日中ホテルにいて、ここの露天風呂に入る。


 夜はばあ様の「古希の祝い」としてをして、ホテルからお祝いの箸をもらう。ちょうどこのとき「古希の会」とかの団体が入っていて、ホテル側からの祝いがあり、その余りもののようである。夜の風呂は古希老人の大群であった。まあ、私もばあ様もその一人みたいなものであるが。



2019年11月02日(土)

 熊本 民泊1泊

 瀬の本高原ホテルをチェックアウトして熊本へ向かう。ここのホテルはすばらしいという印象である。簡保はこれを造って保養に使っていたということなので、余程にお金をもっていたのだろう。バブルの遺産というところか。

 大分から熊本へは阿蘇の高原ルートになる。時期的にススキの群生が見事と言う。何でも映画監督のスビルバーグが絶賛したというのだが。家族は道路脇に車を止めてススキに覆われた阿蘇の雄大さに感激である。だが、私はこのとき最悪状態、車を出ることすらできずに、車の中でじーっとうずくまっていた。

 熊本の民泊はマンションの一画で2DKである。結構広く豪華である。

 りそな銀行があったので30年以上前の「さくら銀行」のカードを使ったら、ちゃんと通用して引き出しができた。以降、東京でもこのカードで引き出しをしている。もとは埼玉銀行で、それが合併を繰り返して、現在の「りそな」になっているようだ。

 息子と娘はレンタカーを返しに行く。別府で借りたから乗り捨てということになる。娘は帰ってきたが、息子は明日早く台湾に戻るため、残された時間を有効に使うためそのまま熊本見物に回る。夜は熊本の飲み屋街を歩いて、「居酒屋」に入る。息子は遅れて合流する。


2019年11月03日(日)

 お茶の水 ホテルじゅらく 1泊目

 朝方、息子は台湾に戻って行った。私は寝ていたので息子の出発を知らない。

 今日は娘を含めた三人で熊本城見学となる。うまいタイミングでこの時、修復中で城本体に入ることはできないが、その修復状況がオープンされて外観を見ることができるようになっていた。よってばあ様はこの旅のメインに熊本城見学を据えていた。ここで熊本のお茶を買う。「クマモンのお茶」である。九州のお茶といえば嬉野茶が有名だが、最近は鹿児島の知覧茶が出回っている。でも熊本のお茶というのは初めて聞いた。



 熊本城は姫路城と並んで日本の二大城郭である。外から見るだけでもすばらしい。順路の左右にはところどころに地震で崩れた石垣や土塀などが、崩壊時そのままの状態で置かれている。


 娘は周りをあっちこっちとふらつき廻っていたが、私は歩くのもしんどいので、先にバスで入口付近の先のお店街に戻って休む。少し寒くなってきた。娘がやっと帰ってきた。
 城を出るとあるホールのようなビルの中で東京で見損なったイベントをやっていると娘はトットとそこへ入ってしまう。「おい、大丈夫か、飛行機の時間がせまっているだろうが!」と言うが娘は耳を貸そうとしない。もしこのイベントを見るようなら、確実に乗り遅れる。もし、飛行機を逃したら今日の便で東京に入れるだろうかと心配になる。私にできることは娘が戻ってくるのをじっと体を休めてベンチで待つだけである。イベントが終わるのは2時間後か、3時間後か、まるでわからない。しばらくして戻ってきた。いわく「満席で入れない」とのこと。まあ、そんなものだろう。時間はギリギリである。せかされるように飛行場に行き、なんとか夕方の「熊本---羽田 ANA648便」に滑り込んだ。

 羽田からお茶の水駅に出るが改札口を間違えて付近を歩き回る。探し回って「お茶の水 ホテルじゅらく」にたどりつく。私はここに4泊の予定である。ばあ様は四ツ谷の実家へ、娘は市川の自宅へ戻るので、ここでお別れである。

 ばあ様の「古希祝い九州旅行」は無事終わった。山を一つ越えた。

 ヤバイ出来事に何度かぶつかったが東京にたどりついた。これからどうなるのかは闇の中である。でも東京ならどうにでもなるので気分は楽である。





2019年11月04日(月)

 お茶の水 ホテルじゅらく 2泊目

 ばあ様が新たに発行された私の健康保険証と郵送したパスポートをもってきてくれた。
 午後に病院へいく。初診になる。先生の見立てでは、非常に悪い状態であり、腎不全の一歩手前とのこと。前立腺の肥大で尿が尿道を通ることができずに体内にオーバーフローしているとのことである。
   当面は腎臓回復が目標となり、腎臓が回復して栄養がとれるようになり、体力が戻ったら手術をされた方がいいですよ、とのことであった。
 対処としてはカテーテルを尿道に突っ込み前立腺肥大とは無関係に膀胱から管を通して尿が排出されるようにした。カテーテルの先にはビニール袋の尿パックをとりつけ、尿はそこに溜まるようになる。ということはつまりいつも四六時中この尿パックをぶらさげていないといけないということである。
 もらった菓子袋にこの袋を入れ、カテーテルが周りから見えないように歩くことになる。いまは冬場に近いのでモコモコのダウンを着ているので傍目では紙袋をぶら下げたオッサンという姿に見えるはずである。もしこれが薄着の夏場ではどうなるのだろう。ちょっと焦るだろうな、と思う。


  といってもカテーテルを入れたことで歩くこともつらいほどの状態になっている。至近の薬局がはるかに遠くに感じて、交差点を曲がってすぐなのに交差点に座り込み薬局から戻ってくるばあ様が戻ってくるのをじーっと待っていることになった。
 ちなみに処方された薬はカテーテルを入れたことによって発生する細菌の感染を抑えるものと、尿を出やすくものの2つである。

 ホテルで4泊したら四ツ谷にいくつもりだったが、とてもそんな状態ではない。尿パックをぶら下げて他人の家にやっかいになるわけにはいかない。症状がおさまるまで一人で静かにしていたいと思い、娘に長期滞在宿処を調べてもらい、そこ移ろうと思う。9泊の予定である。当然のことで帰りの飛行機はキャンセルで格安航空券なので戻りはない。

 また、予定していた兄貴たちの墓参も無理であり、その旨を連絡して了解をとった。それにより今回の旅行の目的の二つ目は取りやめになった。



2019年11月05日(火)

 お茶の水 ホテルじゅらく 3泊目

 今日もばあ様に連れられて病院へいく。状態を確認するためである。カテーテルを通して出てくる尿は血尿である。血の混じった尿がビニール袋に溜まる。尿意はまったくない。勝手に尿が出てきて袋に溜まるだけである。ときどき袋を外して空にするといった作業がある。

 カテーテルを入れたことによって溢れ出ていた尿が排出されはじめたせいか、食欲が回復してきた。食欲が戻ったらまず「ウナギ」を食べようと決めていたので、神田駅近くのうなぎ屋「うな正」に入った。丼ではなくうな重を注文した。これまで一食分を食べることができなかったので、果たして食べ切れるだろうかと不安であった。ゆっくりゆっくりひとくちひとくちと口に運ぶ。次のひとくちが食べられるだろうかと不安になりながらの食事である。昼時で待っている人もいるのでばあ様は普通に食べてすぐに席を立ってしまった。私は遅れることしばらくでうな重を食べ切ることができた。ご飯ものを一食分を食べきれたのは一カ月ぶりくらいだろうか。「食べられた!」と本当に劇的にうれしかった。カテーテルの威力は圧倒的である。だが味はまだわからない

状態にある。




2019年11月06日(水)

 お茶の水 ホテルじゅらく 4泊目

 一日中ホテルの部屋で過ごす。でも昼は出かけていき野菜ラーメンを食べた。チェーン店の店であったが、正直、味が分からない状態なのだが麺はまずいと思った。これまでは一日半食以下ほどであり、体重がどんどん落ちていったが、今は一食ほどになっている。腎臓が回復基調に入っているのであろう。



2019年11月07日(木)

 浅草橋 ウイークリーマンション 1泊目

 ホテルのチェックアウトの日である。ばあ様がきた。ホテルに荷物を預けて病院へ行く。状態の確認である。血尿である。なを、病院は近いのだがすべてタクシーである。まだ歩くにはつらい状態である。

 帰りに神田からお茶の水まで一駅なので電車に乗ってみた。神田駅の階段の上りがきつい。手摺につかまりながら一歩一歩である。何とか上り終えホームに出たが目が回って心臓がバクバクする。ベンチに座り込み動悸がおさまるのを待つ。しばらく休んだ。昼はお茶の水駅前のビルにある寿司屋でちらし寿司とした。まだ味覚は戻っていないのだが、このちらし寿司は高いわりには不味過ぎる。

 ホテルに戻り、スーツケースを引き上げる。タクシーで浅草橋のウイークリーマンションへ引っ越す。9泊で「¥35,100」である。部屋に入ってまず感じたことは何か匂いがすることだ。それがどうも体に合わない。すぐに発した言葉は「この部屋は嫌だ、他のホテルに引っ越そう」である。ばあ様は娘に連絡すると言った。でも、しばらくすると匂いに慣れてきたせいか、感じなくなってきた。「ホテルじゅらく」より部屋は広いし、思っていたより静かで快適であることが分かってきた。ホテルは狭すぎて気分が晴れない、うん、ここで過ごそう、という気分になってきた。「匂い」だがこれは部屋のものではなく、どうも私の嗅覚の異常によるものではないかと思う。部屋の微細な匂いに体調不良での嗅覚が異常に強く反応したのではないだろうかと思うのである。

(注)なを、途中で延長して部屋が替わって合計15泊し、22日の朝にチェックアウトすることになるのだが、15泊という長丁場であったが、まったく飽きがこなかった。また以後まったく「匂い」を感じることもなかった。



2019年11月08日(金)

 浅草橋 ウイークリーマンション 2泊目

 ばあ様と秋葉原へいき携帯FMラジオを買う。でもこれまったく使えない。ウイークリーマンションがコンクリート建物のせいかもしれない(注:ちなみにオーストラリアではきれいに入ってくる)。このウイークリーマンションから秋葉原まで歩いて十分少々ほどの距離である。浅草橋へは5分ほどである。なんで秋葉原が最近こんなに注目されるようになったのか不思議であったが、行ってみて分かった。駅の横にあった青果市場がなくなり、ここを再開発したせいである。私の知っている秋葉原は青果市場のあった時代の記憶なのである。知らぬ外国語があちこちから聞こえてくるグローバルタウンになっている。食事処を探したが思ったような処が見つからず、体がもたずに道の端に座り込んでしまった。この街を見て回るにはまだまだ十分な時間が必要なようだ。ピザが食べたかったのだが、もう無理で目の前にあった蕎麦屋に入りカツ丼にする。蕎麦屋のカツ丼なので期待していない味であった。

 食欲がやたらいい。四ツ谷から差し入れられたおいなりさんや海苔巻き、ちょっとしたおつまみなどがパクパク腹に入る。何かおかしいような、怖いような感じがするのだが、食べられるのである。胃が壊れて制御をうしなったのではないかと思う。


2019年11月09日(土)

 浅草橋 ウイークリーマンション 3泊目

 朝は透尿だが、夜は血尿に近い。徐々に薄らいでいるということだろう。

 朝は昨日の残りのおいなりさんである。ばあ様が様子を見にきた。昼は中華つけ麺屋に入る。中華つけ麺というのは初めて食べる。日本にいくことがほとんどないので、いろいろな食事モノが出てきてブームになっていることを知らない。この中華つけ麺というのもその一つである。夜はセブンイレブンでおにぎり2ケ、フランクフルトなど食欲旺盛なのはいいが、なんでこんなに食べられるのか、食欲事情がおかしい。これまでほとんど食欲がなかったせいの反動だとは思うが、こういうのにはとんでもない危険が潜んでいるような気分がする。

 娘も来てくれた。



2019年11月10日(日)

 浅草橋 ウイークリーマンション 4泊目

 今日はばあ様に来ないでいいと言っておいた。休みも必要だろう。今日は天皇即位パレードであり、東日本女子駅伝でもある。

 朝はほとんど血尿なし。体力は回復してきている。でも足の疲れみたいなものは残っていて、体自体はフラフラする。それでも浅草橋駅の周りの散策を行う。駅前のメロンパン専門店でパンを買い朝食とする。「東京メロンパン」という店で都内に何軒かありおいしさで有名なところのようだ。この浅草橋店が本部らしい。

 昼は「餃子の王将」でチャーハン餃子にする。ガード下まるまるのお店でここの味はいい。続けて夜も王将で焼きそばとする。なを、外食の時は尿パックの入った菓子袋を席の下においての食事となる。

 セブンで焼きおにぎりを買い、夜に少し食べる。




2019年11月11日(月)

 浅草橋 ウイークリーマンション 5泊目

 朝は残りの焼きおにぎりを食べる。ばあ様が来たので秋葉原で「パスタ&ピザ」の昼定食を食べる。帰りに専門店でクロワッサンと塩パンを買う。ここのクロワッサンはおいしい。

 午後、病院へいく。尿パックを外す。カテーテルの先端に止水栓がついていて、ときどきトイレへいき、栓を開いて膀胱に溜まったに尿を排出することになる。尿意はないのでトイレの時期に気を付けないといけない。でもこれで菓子袋を持ち歩きながら動くということからは解放されたわけで、とりあえずは自由に動けるようになった。格段の進歩である。次の予約は来週月曜日の3時である。

 夕食は餃子の王将の焼きそばである。

 夜も尿袋なしで眠れた。



2019年11月12日(火)

 浅草橋 ウイークリーマンション 6泊目

 クロワッサンを買いにいったが、まだクロワッサンはできていない。9時頃になるという。女性の若い店員さんがここのクロワッサンはおいしいですよね、と店自慢をしていた。別のモノを買ってきたが甘すぎる。昼はまた王将で天津飯と餃子にする。

 夜、娘がきたので、尿パックもとれたので食事に行く。お好み鉄板焼きである。内容は「もんじゃ焼き」とのこと。店の名前は残念だがメモられていない。初めてなものなので焼き方がわからないので聞きながらの料理になる。

 夜はゲリになる。最後に呑んだラムネが原因かと思った。でも後に分かったのだがこれは食べ過ぎ等などではなく、昨日、病院から出される処方で薬が変わったのだが、これが強すぎて副作用をおこしてのことである。そんなことはわからないので、しばらくこのゲリで苦しめられる。



2019年11月13日(水)

 浅草橋 ウイークリーマンション 7泊目

 ゲリは朝まで続く。ビオフェルミンを大量に飲み、午前中は絶食する。

 ウイークリーマンションの1週間延長を頼みにいった。でも1週間は空いていなく、一泊500円ほど高い部屋で6泊泊まれるという。それで申し込む。6泊で「¥25,200」である。9泊の6泊で15泊になる。次の部屋は一日早く引っ越しできるという。ということは8泊と7泊の15泊ということになる。15泊の合計で「¥60,300」である。1泊均して4,000円というところである。

 シズカの墓参りにいく。

 尿パックがとれたので遠出できるようになった。12時過ぎにばあ様がやってくる。2時の約束である。地下鉄で表参道にいくのだが、日本橋の乗り換え通路は長く疲れる。地上の歩道より地下道が疲れるというのはどういうことであろう。地下道というのは思ったより長くできているのであろうか。それとも心理的な影響があるためなのだろうか。表参道の地下鉄階段もきつい。地上花壇脇のベンチで一息入れる。表参道にはヨシコさんが待っていた。ヨシコさんはシズカのお寺を知っており案内してくれた。高橋家の墓地は駅からすぐそばのお寺であった。お参りしていたら、高橋さんが駆けつけてくれた。シズカは私の姪にあたり、高橋さんに嫁いでいた。話ではシズカとは16年連れ添ったとのことである。車で来ていたので高橋さんが自宅の近くの祐天寺のデニーズへ連れていってくれた。ここでグラタンを注文する。ひさしぶりである、グラタンを食べたのは。帰りは高橋さんがわざわざ浅草橋のウイークリーマンションの前まで車で送ってくれた。ありがたかった。


 
  シズカの実家は清水家であり、姉妹の姉が継いでいる。墓は多磨霊園にあったのだが遠いので都心に転墓したという。これが親戚中で騒動になり、それでウツになってしまい、高橋さんも連絡がとりにくくなっているという。多磨霊園には私の実姉も入っており墓参したことがある。今回は新しい墓に参く予定であったのだが、こんな体になっているし、清水家はウツ状態であるというし今回は義兄の新墓のお参りは中止ということにした。

 訪日の二つ目の目的は消えてしまったかと思ったが、片方の墓だけだがなんとかお参りを済ますことができた。

 帰ってきてからおにぎりを2個食べる。下痢の心配はなかった。



2019年11月14日(木)

 浅草橋 ウイークリーマンション 8泊目

 今日は四ツ谷に行き我が家の墓参りの日である。

 3時過ぎから「木枯らし一号」が吹くほどに寒いと予報が出ているので早目に10時前に出かける。四ツ谷まで国鉄で160円である。一人で電車に乗ったのは何年ぶりか。水道橋では高校の母校が見えた。四ツ谷駅から四ツ谷三丁目までの道はわずかながら目に見えないほどの登り坂になっているような気がする。歩いてみるとこれが体調が悪い時はしみじみきついのである。休み休みでの歩きになる。さらに玄関前では座り込んでしまう。

 下痢の症状が出てきたので「墓参り」を少し遅らせる。我が家の墓はばあ様の実家から10分ほどの近くなのである。ここには父親が入っている。母は弟が立てた墓に入っており、なんとこれが大阪と和歌山の県境近くの山の上の霊園である。姉いわく「一度行けばいいよ」とのこと。実際出かけていってそう思った。確か大阪から南海本線で行くのである。もし私がオーストラリアで死んだら遺骨はオーストラリアの海に撒き、「墓は作るな」と言ってある。墓は現代にあっては残された遺族にとっては過重なお荷物になってしまう。遺骨があるが故の業である。

 一時過ぎに帰路につく。四ツ谷三丁目でココアを飲む。昼食のかわりである。クロワッサンを買い、また帰りがけに大きなスワマを売っていたのでこれも買う。私はスワマが好きである。甘みのある、ちょっとお餅っぽい感覚がたまらない。

  帰ってきてスワマとクロワッサンを食べる。腹にドーンとくるがでも下痢状態にはならない。どうもこのところの胃腸の様子は不可解である。

  なを、木枯らし一号は吹かなかった。夕方もさほど寒くなかった。



2019年11月15日(金)

 浅草橋 ウイークリーマンション 9泊目

 セブンでココアを買い、パンの残りを公園で食べる。佐久間公園といい、ここは日本で初めてラジオ体操が行われたところだそうである。


 10時過ぎると陽がさしてポカポカ暖かい。ウイークリーマンションにいる間はちょくちょくここに来て日向ぼっこしながらパンをかじった。ここは今回の病院通いが運んできた浅草橋の記念の場所にもなった。

 マンションは今日から新しい部屋に引っ越していいと言われている。ばあ様が夕方やってきたので引っ越しを実行する。2階になり部屋も広い。でもこの202号には毛布がない。先の106号からもってくる。

 娘がきたので「浅草橋の居酒屋」で夕食とする。焼き鳥を注文したがトリが切れているとのことである。なを、帰りがけに鳥屋さんの配達があったがもう帰り際であり間に合わなかった。ここの店の名前もメモにない。

 相変わらず腹の調子はワケがわからない。

 


2019年11月16日(土)

 浅草橋 ウイークリーマンション 10泊目

 今日からばあ様は娘と友達と数人で箱根へ3泊の旅行である。

 今日も公園でココアとクロワッサンである。

 受付に毛布の交換を頼む。

 またお腹がざわつく。ビオフェルミンがなくなったので近くのマツモトキヨシで買う。¥980.

 昼は日本そばで、肉そばである。



2019年11月17日(日)

 浅草橋 ウイークリーマンション 11泊目

 朝は公園でメロンパンとココア。昼は昨日のソバ屋へいったが日曜日で休みだった。メロンパンにする。今日はメロンパン2個ですべてである。

 腹がゴロゴロしてゲリである。どうもこれは食事の問題ではないように思うようになる。前回の病院で薬が変わったのでそのせいではないだろうかと思う。食事は少食にしてコントロールしている。

  

 

2019年11月18日(月)

 浅草橋 ウイークリーマンション 12泊目

 朝は腹の調子が悪く食べない。薬も飲まない。

 午後、一人で医者へいく。下痢の件を話したら薬の副作用かもしれないという。新しいクスリが強すぎての症状かもしれない、ということでをやめるように指示される。やはりである。

 帰ってきてクロワッサンを食べる。クスリを飲まなければ腹の調子はいい。食欲は戻ってきており、下痢も収まってきている。夜は王将で焼きそばとギョーザを食べる。



2019年11月19日(火)

 浅草橋 ウイークリーマンション 13泊目

 朝、メロンパン。10時以降の朝食は体への負担がない。

 昼、例のソバ屋へいく。ソバがおいしかったので今日はウドンの予定であった。でもウドン類はキシメンしかない。これ一種である。しかたがないので注文したがやたらと油っぽい。これはダメだ、大いなる失敗である。

 夕方にばあ様が、そして娘がくる。「焼き鳥屋」へいく。ここでの居酒屋は3軒目になる。4軒目だと思ったが数えると3軒である。焼き鳥が好きなので夜に外へでるとついつい焼き鳥屋に目がいってしまう。

 下痢はおさまっている。



2019年11月20日(水)

 浅草橋 ウイークリーマンション 14泊目

 今日は新宿でメガネを買うので、新宿駅でばあ様と待ち合わせる。改札口での待ち合わせをばあ様は主張したが、私は総武線の下りホームの中野より先端での待ち合わせを強く主張する。実際50年前、大学生のときでも新宿駅の改札口での待ち合わせは失敗することが多かったので、**線のホームの先端という形で友人と待ち合わせていた。こればらドンピシャで出会うことができた。でもばあ様は入場料を損したと言う。ばあ様は地下鉄でくるので確かにそうなってしまう。新宿ではぐれたら出会うことは難しいので、保険みたいなものだと思う。

 小田急デパートの眼鏡屋へいく。ここが一番安いということである。普通用とパソコン用の2ツを作る。2本で¥13,000である。確かに安い。オーストラリアで作ったら目の玉が飛び出るほどである。そのせいかオーストラリアのショッピングセンターは2軒の眼鏡屋が店を出しているのがふつうである。安易なフレームを選んだのでその場で作ってもらえた。これはタックスフリーになるので、小田急内のカウンターへいって無税手続きをする。税金分だけ現金で返してくれる。

 小田急の食堂街でランチを食べる。その後どうするかということになったが、体調がすぐれないので、新宿散策はやめて浅草橋に帰ることとした。


2019年11月21日(木)

 浅草橋 ウイークリーマンション 15泊目

 <<メモがない>>というよりそこに書き込まれているのは「ウイークリーマンション15泊目、最終日」という予定のみで、その日はどうであったかの記載がない。よってどのようにこの日をすごしたか不明である。

 眼鏡を買った次の日になる。最終日であるから、夜はスーツケースへの荷物の詰め込みをしたことは覚えている。昼間はどう過ごしたのか、ばあ様は来たのだろうか。  



2019年11月22日(金)

 四ツ谷 1泊目

 朝方、ばあ様がくる。今日はウイークリーマンションのチェックアウト日である。荷物を詰めて10時にチェックアウトする。

 雨である。この旅行での初めての雨である。以降四ツ谷にいる間中雨に降られる。四ツ谷は雨にたたられている。気温は低く寒さを感じる。四ツ谷三丁目のベローチでモーニングを食べる。四ツ谷にはネコがいる。ネコは好きではない。

 昼はトンカツ弁当である。ヨシコさんが買ってきてくれたものである。

 便はほぼ正常に戻った。

 

 

2019年11月23日(土)

 四ツ谷 2泊目

 小雨が降ったりやんだりである。

 新宿御苑横の1000円ハンバーグを食べにいくが、著名な店でこの気象条件でも行列である。ここはやめてその近くの丸亀うどんにする。はじめての丸亀うどんであったが、確かにここのうどんはおいしい。帰りにセブンで肉まんを買い、半分食べる。


  夜、娘がきたので荒木町を散策して「わや」という居酒屋に入る。ここはおいしい。ヨシコさんを含めて4人で¥6700である。これは安い。荒木町では考えられない値段である。




2019年11月24日(日)

 四ツ谷 3泊目

 クイーンズ駅伝を見る。

 その後、国立競技場を見て、ばあ様の弟のヤス君の改修されたマンションへいく。ヨシコさんの話では700万円かけたという。

 夜はサイゼリアでピザとニンニクパンとする。サイゼリヤとかガストといったところは初めて入る店である。



2019年11月25日(月)

 四ツ谷 4泊目

 昼は四ツ谷の蕎麦屋で天丼セット。

 その足で午後、病院へ行きカテーテルを交換する。カテーテルは4週間以内に交換することが原則となっている。よって12月18日に日本へ戻ってくるとし、飛行機の便の関係で12月23日で次回の予約する。

 血液検査:これまで行くたびに行い、今日で4回目になる。(注:後日判明であるが、今日の検査では検査値は一般正常範囲に戻った。カテーテルを入れてから3週間である)

 28日の木曜日に帰国するので、ジェットスターのチケットを取得する。



2019年11月26日(火)

 四ツ谷 5泊目

 近くの弁天町のイトーヨーカ堂の食品館へいく。オーストラリアへもって帰るサトウの切り餅やスープなどを買う。


 昼はサケ弁当を食べてみる。まずい。

 夜は四ツ谷の家でオデンである。はんぺんがフワフワでおいしい。オーストラリアでもはんぺんは売っているが、パック包装でふわふわ感がまるでない。ソーセージもぱりぱりのシャウエッセンでうまい。

 


2019年11月27日(水)

 四ツ谷 6泊目

 今日もまたヨーカ堂食品館へいく。昼はホットモットのカツ丼である。カツ1.5倍というやつでお腹が満腹である。新宿に出て丸井のセリアという100円ショップへいく。何もない。

 御苑の側道を歩いて帰ってくる。

 夜はおでんの2日目である。

 12月24日の成田からゴールドコーストのチケットを抑えてもらった。



2019年11月28日(木)

 成田---GC 機内泊

 四ツ谷の天春で昼食をとる。私、ばあ様、ヨシコさん。


 空港へのバスへ乗るために銀座へ出る。ヨシコさんが銀座まで送ってくれた。空港までは銀座から一人千円と安い。

 第2ターミナルで降りて夕食をする。私は空き腹であったが、ばあ様がそうでないというので、いろいろ決まらなかった。私はカルビ丼とする。第3ターミナルまでは700m弱で歩いていく。列に並んで出国ゲートでばあ様と別れる。満席とのことであったがあちこち空いている。窓際3列の通路よりの席であったが、窓際の2席は空席である。出発後中華系のけばけばしいオバサンが窓席に移ってきた。


2019年11月29日(金)

 5週間弱ぶりにオーストラリアの自宅に帰ってくる

 10日ほどの予定の旅行がウイークリーマンションに2週間、四ツ谷に1週間と延びてしまった。オーバーに云えば生きて帰れるとは思っていなかったのでこの程度のことで済んだのはありがたいことである。これから月に1回は日本に通わなけれならなくなってしまったが、今回の旅行は人生を大きく変えるものになってしまった。考え方や、生き方の有り様が切替点を迎えたような感じがする。

 検閲は食品をマーキングしたが検査はなくすんなり出られた。

 スカイバスは$15でホテルを回って客を下ろしていく。終点はリゾートの「ビーチポイント」であった。昔のゴールドコーストインターナショナルの近くだったのでそこに行ってタクシーを頼む。$35ドルであった。

  空き巣にでも入られていないかと心配していたがテーブルにあったばあ様のパソコンをみてホットした。

 すべての窓を開けて、次に植木に水をやる。草系統のものは枯れてしまったが、ほとんど枯れても根は生きているようだ。どんどん水をやる。そして洗濯機を回す。

 風呂に入る。湯船につかったのは3週間ぶりである。カテーテルが繋がっているので怖くて入れなかったのである。身体のすみずみをヘチマタオルでごしごしである。体重を計ったら44kgと出た。46kgくらいには回復していると思ったが裏切られた。食欲は旺盛だし、体力もついてきているようにおもえるのだが、体重はあまり回復していない。旅行直前の体重は計っていないが、その少し前で44kgである。旅行中に減っている可能性もあるが、カテーテル治療でそこそこには回復しているかもしれないと考えていた。でも44kgは思ってもみなかった数値である。48kgくらいには戻ってほしい。

 風呂から上がってから2回目の洗濯機をかける。炊飯器で2合のコメを炊く。日本からもらってきたオニギリの具とコーンスープで昼食である。Tシャツと素足で十分な陽気であり、日本とくらべてはるかに楽である。寒いところから暖かいところへの移動はダメージがないのがうれしい。ばあ様からメールが入っていたので返事を入れる。息子にもメールを入れる。娘には今回の件の感謝の旨を送り、来月の予定でのこちらの希望を述べておく。

 さて気になっていた車のバッテリーだがヤリスは動いた。1カ月以上の間があるのに動くとは思わなかった。しばらく走らせてガソリンを入れる。フォードはダメであった。

 郵便をとりにマネージャーのところに東京みやげ「ひよこ」を持っていった。郵便は預かっていないという。息子は頼まなかったのだろうか。郵便箱を見たら溜まっていた。これで1カ月分なのだろうか。必要なものは揃ってポストの箱に収まっているようだ。税務の書類が入っていた。もちろん内容は税金ゼロである。私の分には訂正が入っていた。そのほかRACQ、トラベルボックス、株式、銀行書類などである。

 アルデイへいってバナナとネクタリンとチップスとあられを買う。ネクタリンが出始めたようである。

 秋葉原で買った携帯ラジオは日本では雑音が激しくつかえなかったが、こちらではFMクラシックが綺麗に入る。

 夕食はおにぎりである。


『◆息子へ: いろいろ心配をかけましたが、何とか帰国しました。この旅はラストミッションにはならなかったようです。10日ほどの予定が突然1カ月強に延びてしまいました。

 来月も検診で日本に行くことになりそうです。

 やはり、日本よりオーストラリアがいいです。なにしろ人がいないし、ネコもいない。

『◆娘へ: ラストミッションのつもりで出かけた旅行ですが、生きて帰ってきました。10日ほどの予定が、ウイークリーマンションの2週間を含めて3週間ほどの突然の延長になりました。

 これからは生きていると何が起こるかわからない年齢に入ってきた、ということなのでしょう。

 ところでこの度はいろいろ骨を折っていただきありがとうございます。こうやって帰ってこれたのも娘のおかげと感謝しております。

 来月の件ですが、ばあ様は長逗留しろと勧めますが、寒さが大嫌いの私にとって12月の日本はちょっと遠慮したいところです。短ければ短いほどいい、というのが偽ざる心境になります。

 12月24日成田発の帰国はこれまでの例から、オーストラリアのサマーホリデイ期間中はここしか空いていないと思います。

 ゴールドコーストから成田へは12月22日での2泊予定は冗談としても、20日前後、早くても18日出発というのがこちらの心づもりになります。この時期のチケットがとれるかどうか、ということになりますが、あまりに高いと二の足を踏んでしまいます。

 いろいろ難しいでしょうがよろしく。



2019年11月30日(土)

 昨夜は10時前にベッドへ入ったが、目が覚めたのは7時過ぎである。この間一度も目を覚まさなかった。

 これからコーヒーの代わりにココアと牛乳にしようかと考えいる。牛乳は下痢をしやすいのでやめていたが、暖めると甘みがあって飲めそうである。

 体は動かないが10時頃から気を取り直して掃除に入る。アルデイでブリーチを買う。この間まで1ドルだったが、それが1ドル50セントに値あがっていた。掃除機をかける。バッテリータイプを使うがすぐにバッテリーが切れてしまうのが難である。昼食は昨日の残りのオニギリである。

 ラナウエイベイへいく。東京キッチンが4時になると「50% off」になるのでそれまで数分まって太巻きを2本買った。夕食はこれになりそうであると思ったが、夕食前に食べてしまった。でもおそらくこれで夕食は食べれないだろう。



 娘からのメールがあり12月の日本行きのチケットは443ドルとのこと。とるように返事する。

『◆娘: 飛行機おつかれさま〜。 12月18日がチケット代だけで443ドルだからこれにしようか?』


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   2019年12月

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2019年12月01日(日)

 12月に入る。毛布を洗濯する。ほぼ掃除は終わった。昼は「宮崎ラーメン」とする。夜はかばち屋へいったが日曜日は休みなので、またラーメンをつくることになる。

 シャワーを浴びたあとの体重は44kgである。

 娘からメールが入っていた。谷中に3泊したらどうかというものである。

『◆娘: 3日位日暮里のホテルに泊まる? 成田空港まで電車1本で行けるし、谷中銀座商店街っていうレトロな食べ歩きスポットがあるよ。神田駅まで山手線一本。

 安いホテルだから1泊4000円。あ、土曜は2倍だから泊まるなら12/18〜12/21チェックアウトが安いかな。12/21〜24だけ四ツ谷で。

『◆娘へ: ちょっとわかりにくいのだけど

 18日、19日、20日 谷中

 21日、22日、23日 四ツ谷

っていうことかな。 私はそれでいいが、ばあ様がどうだろうか。



2019年12月02日(月)

 ばあ様と娘にメールする。

『◆私: 財布は見つかりません。フジマートで新規にカードを作ってもらいます。お餅のことはすっかり忘れていました。早速、昼食に食べることにします。

 LINEは「Χ」印が出て通話はできません。

 娘からのメールで日本行きは12月18日になったとのことです。18日、19日、20日は「谷中」の安いホテルに宿泊して、最近ブームのレトロな街を見物することになりそうです。21日、22日、23日は四ツ谷にご厄介になります。よろしく。

『◆娘へ: ばあ様に 18日、19日、20日は谷中、21日、22日、23日は四ツ谷の予定で行動する旨を伝えておいた。異論が入ってこなければこのスケジュールでいきたいと思います。

『◆娘へ: 四ツ谷に滞在してもよかったのに。というメールが入りました。これで谷中の宿泊は承認されたということになります。あとはよろしく。

 昼はお餅を2ケ、夜はジャガイモ小さいのを4ケ。なを副食は定番で玉子、ハム、レタス山盛り、インスタントみそ汁である。

 庭の枯れてしまった植木を引き抜き、元気なポットの植木を植え替えた。ポットにはニラを株分けして植えた。

 シャワー後の体重はいまだ44kgである。



2019年12月03日(火)

 RACQ(クイーンズランド・自動車連盟)の支払いに郵便局へいったが、坂道が結構きつい。

 昼は1カ月以上前の、ばあ様が冷凍庫に入れておいたご飯をおかゆにした。大丈夫だろうと思うのだが。量は2人前ほどあった。

 ラナウエイベイでチキンナゲットを買い、夕食にする、それにジャガイモである。もちろん副食つきである。どうも食べ過ぎである。



2019年12月04日(水)

 昨夜、12月に領事館のゴールドコースト・サービスがあることを思い出した。夜遅かったが起きて調べたら12日ということである。先日日本に転居届を出しているので、在留届が発行されるかどうか疑問だが、とりあえず提出することにして、パスポートと免許証のコピーを作った。届け出用紙は平成から令和に変わったので使えない。朝に郵便局へいき書留封筒を買ってくる。$5.20ーこれで用意はできた。

  昼はうどんである。140g。ばあ様がうどんのストックだけは十分にしていてくれた。夜はジャガイモである。副食は何時もの通りである。



2019年12月05日(木)

 この度の九州旅行等のメモからダイアリーを書き始める。九州旅行のことの多くは記憶が薄い。体調不良であったからしかたがない。病気・病院からみの日々についてはまだ新しいことなので、メモをみなが思い出している。

 昼はウドン、夜はジャガイモ、昨日と同じである。ウドンが十分にストックされているので、あと4,5日はウドンになりそうである。

『◆ばあ様: おはよう。体の具合はいかがですか? そちらの生活には慣れました? 財布はハンドバックの中に入れっぱなしかもしれません。こちらは日々寒くなります。こちらに来る時は覚悟して下さい。

『◆私: こちらは暖かく、Tシャツ、半ズボンです。やはりオーストラリアはいい、というより私の体に合っている。12月の日本はメールのように厳しいことになるのでしょうね。覚悟はできていますが、とはいえ寒いのは基本的に大の苦手です。

 ハンドバッグの置き場所がわからないので話は前に進みません。

 買い置きのウドンとラーメンにお米、そして持ってきたお餅で今のところ十分に足りています。昼だけですので、一人暮らしだと注意しないと買い過ぎてしまいます。夜は必要ならアルデイで買ったジャガイモを煮てバターをつけて食べています。野菜はいつものようにレタスに塩を振って山のように食べており、またハムを焼いておかずにしています。面倒なことは避けています。でもこれで足りています。お酒がダメなのでホット牛乳にして、コヒーの代わりにココアを飲んでいます。数日がたちやっと心理的に以前の日常に近い状態に戻ってきたこの頃といったところです。まあそんなところでしょうか

『◆娘へ: カード口座からジェットスター名義で「28/nov」「02/dec」と2回引き落とされています。「28/nov」は12月24日の帰国のチケット、「02/dec」は12月18日の日本行きのチケット分だと思います。ところでこれ予約番号などはないのでしょうか。自分でチケットを買ったことがないので要領がえません。空港のジェットスターのカウンターでパスポートを見せるだけで、搭乗チケットを取得できるのでしょうか。ちょっと心配で。

 娘からすでに送っているとの返事であり、調べてみるようにとのことである。そこで娘の指示に従ってまず「迷惑メール」を調べる。ここに一本隠れていた。だがいろいろやってはみたが2本目が見つからない。「jetstar」という検索ワードで調べろ、という指示であった。これでやったら確かに送られてきている。ところがこれ「危険なメール」ということになっている。「問題なし」を選択して何とかオープンできた。まったく一体どうなっているのだろう。

 その旨書き送ったら娘から返事がきた。

『◆娘: 画像とか添付ファイルがついてるとそうゆう事もあるよ。グーグルさんはセキュリティが厳しいから



2019年12月06日(金)

 6時半に起きた。昨日あたりから平常生活に戻ってきて’いる。

 九州旅行の部分のダイアリーを書き始める。

 娘からのメール。

『◆娘: ホテルはここね。最寄りは千代田線の千駄木駅2分。

https://www.hotel-livemax.com/sp/tokyo/nippori/access/

 成田空港は日暮里駅が便利だから、初日は日暮里駅で降りてホテル向かうよ。

日暮里から千駄木の間に谷中銀座商店街があるんだけど、食べ歩きスポットらしい。

https://press.chiku-wa.jp/press_1655/

飲食店は千駄木駅と根津駅に評判の店が色々あるみたいだよ〜

『◆娘へ: ご手配ありがとうございます。

 ホテルですが体にカテーテル(ゴムチューブ)が入っているので、大衆風呂には入れません。個室つきの風呂のみの使用になります。ホテルの仕様に風呂の項目がないので、確認してみてください。カテーテルが入っていなければ、どこか近場の温泉にでも出かけて行きゆっくりしたいと思っているのですが。残念なことです。

 前回、寒さがきつかった時、ばあ様がヤス君のイギリス製の防寒具をもってきてくれました。でも利用できませんでした。一つにはひどく重たいこと、二つにはサイズが小さいことでした。

 またこのとき、ユニクロで防寒用のズボン下を2着買っています。そのうち一着は前回着用しています。ばあ様もいろいろと手配してくれていますので、ぶつからないようにしてください。無駄になってもつまりませんので。ではよろしく。

 昼はウドン、ウールワースで鳥のから揚げを買ってくる。5ドル。夜はジャガイモ2個で充分であった。

 今日は暑かった。40度を超えたところもあったという。熱波である。空気が熱いのである。扇風機を出した。夜は風呂にした。帰国したとき以来なので一週間ぶりということになる。体重は相変わらず44kgで変わらない。アバラ骨は浮き出て、骨と皮である。



2019年12月07日(土)

『◆ばあ様へ: 昨日は熱波でした。40度近くになり、処により40度を超えたところもあったとニュースが報じていました。夜は扇風機のつけっぱなしです。寝苦しいので早めに起きています。ところで「冬用丸首セーター」を一枚確保しておいてください。先のセーターでは薄すぎ寒さに対処できそうにありません。よろしく。

 昼はウドン、夜はジャガイモ。でもどうも食べ過ぎで便秘気味。


 前立腺肥大に関する検索をしている。手術による入院は一週間、手術後1カ月は安静、その後1カ月毎に検診が必要であるとある。相応の費用が掛かる。入院すればその分の費用は保険がきかない。また、手術までカテーテルはつけたままになるだろう。毎月一度オーストラリアと日本を行き来することになる。トータル費用は3万ドルくらいになるかもしれない。お金を使う人生に入り込んだということであろう。まあ、お金を使う楽しみをするのもいいかもしれない。

 

 

2019年12月08日(日)

 娘からメールがあったので返信のメールを送る。

『◆娘へ: ありがとう。案内のところをみたらリブマックスというのは東京のいろいろなところで営業しているようだ。新興のホテル会社のようでこんなに展開しているビジネスホテルがあるとは全く知らなかった。あの浅草橋にも2棟もあるとは驚きである。まったく気が付かなかった。これから日本には頻繁に通わねばならないことになりそうなので、面白い街をホテルから散策してみたい。

 もともと旅行にはあまり興味はないし、この年だと出かけること自体がひどく煩わしい。どうしても家にいるほうが安穏で心地よい。もうすぐ75歳だから、これからさらに動くのが面倒になってくるだろう。そんな日々の私なのだが。病気になって日本に通わねばならなくなったことは、自分をには大きな刺激である。突きつめられた状態でなければ人はなかなか動けない。

 前立腺肥大そのものは大したものではないが、その大したものでないもののために日本に出かけるというのがうっとおしい。それが外国に移住したものの精神的金銭的リスクというものだろう。これはいたしかたのないことだ。それに見合うオーストラリアでの楽しみを得ているし、得てきたのだから。「得る方向から出す方向へ」と人生の風向きが変わってきていることでもあろう。毎月のように日本へ通うとなれば、これはこれでいまの状態を大きくダイナミックにひっくり返すことになり、結構面白いことになりそうだとワクワクしている気持ちがあることもそれなりの事実だ。残りの時を考えると、安い車一台を買うほどの出費で最後のお楽しみをすることも悪くはないかな思っている。

 この年になって、強制的にルーチンワークのような旅行に駆り出されることになってしまったことへの居直り気分も大いにあるのだが。ではまた。

 洗濯をする。シーツを洗う。

 ウドンにジャガイモ。

 台所でクラクラときた。珍しいことだ。睡眠不足だったということでもあるまいに。それからか夕方6時まで昼寝である、これちょっと行き過ぎ。ここまで寝ると今夜は寝れないだろう。



2019年12月09日(月)

  12月21日は娘の誕生日である。この時私は日本にいる。これが悩みである。これまで娘は日本にいるためほとんど構っていなかった。今回はいろいろお世話になっているので誕生日にはそこそこのお祝いを贈ろうと思っている。まあ、一人で日本でやっていることへのご褒美ということもある。

  今日もウドンとジャガイモ。



2019年12月10日(火)

 私は若い時を除いて旅行が好きではない。異なった風景を見て歩くことに興味がないということなのだろう。なぜかと考えるに後半の人生それ自体が、人生を見て歩く旅のようなものだったからかもしれない。外面的には勝手きままに、内面的には真剣に自分の居場所を求めて人生を巡り歩いていた、といったところだろう。よって一過性の風景を見て歩く旅行に惹かれなかった、惹かれるだけの余裕がなかったということかもしれない。風景をみるよりも自分に与えられた人生を見て歩く方により大きい興味を抱いていたということであろうと思う。

 ばあ様がドアツードアのサイトを送ってきたので予約をした。

『◆私: CON-X-ION:ドアツードアの予約ができました($30.45)。   ありがとうございます。帰国して10日少々ですが体調はまあまあです。もう次の予約の手配をしないということになります。アルデイへは問題ないですが、郵便局へいくゆるゆる坂は少々きついです。気力はそこそこですが、めんどくさいことはどうしても回避してしまいます。そのせいか夕食はジャガイモをゆでてバターで食べるという安易な形が定番になっております。もともと夕食は食べない方ですからこれで充分です。昨日、スーツケースを引き出したら、その中にバッグがありました。フジマートのカードが入っていたので、今日は意を決してフジマートへ出かけてみようかと思っています。ではまた。

  フジマートで日本食を買う。$60.35-。昼はフジマートで買ったロールパンとメロンパン。夜はジャガイモ。

  先の日本での旅行メモを写し終える。ところが「11月21日」のメモがない。白紙である。いったいこの日どう過ごしたのだろう。ウイークリーマンションの最終日である。スーツケースへの荷物の詰め込みをしたことは覚えている。ばあ様は来たのだろうか。

 娘とのメールのやりとりがある。

『◆娘へ: 12月23日に医者へいくとすると、次は4週間後になる。カテーテルの交換は最長4週間以内だという。とすると1月20日ごろになる。1月22日が帰りの便ならいいのだが。交換を1月23日にずらしてもらえれば、いいのだが。これは医者に聞いてみないとわからない。飛行機便はペンデイングにしておいてください。

 カテーテル(ゴムチューブ)を入れて尿路を確保しているので、前立腺肥大症でもいまは日常生活に大きな支障はない。あの2カ月半にもわたったつらい日々はおかげさまで消えている。もしカテーテルをとると肥大症が尿路を再び圧迫し始めることになり、また症状がぶりかえしてくるということになるだろう。検索してみたが前立腺の肥大を小さくする「確実な薬」は無いようである。つまり薬で治せない病気ということになる。カテーテルを入れている間に人間身体の自然治癒能力が肥大を抑え込めればベターといったところである。もしそれができないなら手術で肥大した前立腺をカットすることになる。手術になれは一週間の入院と4週間の診察期間、その後しばらくは4週おきの検診ということになる。薬を飲んで治すというのはできそうにない病気で、身体の自然治癒に任せるとなると先が見えない。カテーテルを入れておく期間を長くとって自然治癒の力の回復を待つか、それともエイヤーの手術でカットしてしまうかである。この1年間はいそがしい年になりそうである。

 これまで大病にかかったことがないので人生の中でのちょっとした経験かもしれないと思っている。前立腺肥大症は死に至る病ではないので、お気楽ではある。飛行機で往復となると、そこそこお金がかかるがそれもやむ得まい。まあ、年をとってのそんな活動も面白いかなとも思ってはいるのだが。そんなところです。見通しがたたずに心配するといけないので、症状ならびに時間の概要を記しておきました。 

  いろいろありがとうございます。

『◆娘へ: 手術は保険がきくからその程度だろう。それに手術時間も短いものだ。だが行ってすぐに手術というわけにはいかない。その前に検査があり、それで最低1日は入院する。そして手術日となる。手術後は経過を見るために最低で2日は入院する。だから最低でも4日の手術入院はみておかねばならない。ちょっと長引くと一週間になる。この入院費用がバカにならない。

 前立腺肥大症の手術の入院期間についてはインターネットに載っていて読んだことがある。大体、数日とあった。多くの人は手術単体の費用に目がいっている。決して今日行ってその場で手術して、終わったらたら帰ってくるといったものではない。

 費用のメインは手術でもなければ入院費用でもない。飛行機代と滞在費・宿泊代である。これから比べては手術関係の費用はわずかなものに過ぎない。またセコンドオピニオンを求めて別の病院へいくことも考えてもいい。

『◆娘へ : いろいろ調べてくれてありがとう。でも平塚は遠すぎる。ここへ行くにはよほどの覚悟がいる。慶応病院は高いし、それに手術に関しては予約がつまっていてすぐにはやってくれないとヨシコさんがこの間国立競技場を見に行ったとき慶応の裏を通ったのだがそのとき言っていた。

 12月23日からの4週間目は1月20日になる。19日まではこちらはサマーホリデイで交通費からホテル代まですべて高い。しかし、20日以降になると例年一気にドーンと下がる。20日(月)になるであろう診察を22日(水)に延ばしてもらうことはできると思う。さてそこで、20日をとるべきか否か、そこが問題だ! ということになる。ちょっと考えよう。

 お金がかかるのは外国に移住したものの宿命であり、まさに必要経費である。 日本への行ったり来たりはせいぜい1年が上限だろう。今年の11月の初診から考えると、来年の10月までにはすべて終了していると思う。お金のことを取り上げると面白くなくなる。それで老後の生活に致命的なダメージがあるなら別である。前に書いたが入院費手術費と滞在費飛行機代を含めても車一台分である。趣味で新車を買ったが事故ってオシャカにしてしまった、と思えばあきらめもつきやすい。それより、年を取ってから日本とオーストラリアを月一で往復することになってしまったという「ただならぬ不幸」に感謝して、逆にこれを少しでも楽しめればなと思っている。第三者的にみると引きこもりからの一時の脱出てなことになるだろか。これも重ねて言うことになるが、若干のやせ我慢、相当な 居直りがある。

 ではまた。

 大体の見通しを書いておいた。おそらくこの範囲で来年は動くことになり、お金を使うことになるだろう。

  夜はあいかわらずジャガイモ。副食は定番でついているのでジャガイモだけで食事を済ませているわけではない。

  


2019年12月11日(水)

 今日は早く目覚めてしまった。なんとか6時までベッドに入っていた。

 昼、ウドン`、夜ジャガイモ

 午後、オ-ストラリアフェアーへいく。床屋へ行き、ダイソーに寄る。

 ガソリンが高騰している。united21で「170」、別のところでは「175」である。170というのは本当に久しぶりということになる。先日ガソリンを入れたときは「130台」で入れている。一気に「40セント」も値上がった。中東でなにかありそうということだろうか。

 娘からメールがきた。

『◆娘: 同じ必要経費なら楽しく使ったほうが価値が上がるもんね。今まで使ってこなかった分、2020年は外も見ようっていうタイミングなんじゃん? 得したと思ったもん勝ちだよ。幸い優秀な娘がいるから美味しいもの食べられるからね〜

 平塚はそんな遠い駅じゃないよ。神田から快速で1時間の通勤圏内の街だから、私が住んでる千葉と変わらんよ。なんなら成田のが遠い。商業施設のビルが二軒あるから買い物に困らんらしい。ホテルリブマックス平塚もあるくらいだよ。

 20日より前だとチケット代が倍以上になってるね。1番高い日だと1453ドルとかだー。ジェットスターは空席あまりの内は安いらしいから、チケット代300ドル前後で買うなら今かもね。』

『◆娘へ: 1月20日のゴールドコースト発成田行き、買っていいよ。

 前に言ったと思うが私の大学は平塚にあった。小田急で通っていたが、ぎゅうぎゅう詰め電車で2時間弱かかった。2年通って、毎月のように風邪を引いて医者に通っていた。そのころも今も同じだが体力がなく、ひどく疲れやすかった。いまこうやって生きているのが不思議なくらいだ。だから平塚にはいい印象はないのだ。

『◆娘へ: まだ40日も先の話なので1日違いの差を滞在的にどうとらえるかは判断がつきかねる。30ドルの金額なら安全側で1月20日でいいと思う。まあ、いろいろあるね。

 メールを次々送ってくるけど、仕事はどうなっているの。

 こちらは孤独の流れに身を任せているので、精神的空虚のつらさにさいなまれることが多い。最近は本が読めなくなって、マンガをパソコンでみている。アニメではなくマンガである。ニュースは見てるが考えることがきつくなってブログはやめてしまった。運動ができない体になって、散歩すらもしていない。料理もめんどくさくなってきて、昼はウドンとハムにレタス、夜がうでたジャガイモにバターを塗ってこれもハムとレタスで適当に済ませている。前立腺の影響もあるのだろうが、加齢症状もあるのだろ。気力の衰えというものは確実にしのびよってきている。2,3日前、台所でフラッときた。南無サンとじっと静かに耐えた。老いがどういうものか、第三者的に眺めている。そんな中で、来年は病気が引き金になって、そこそこの動きがあってドラマが演じられそうだとちょっとだけだが気分が温かくなりそうだと思っている。とはいえでも、やはり一人暮らしは楽でいい。人に文句言われることもなく、勝手気ままで「おらが大将」になれる。精神衛生上はこの上なく透明である。

『◆娘: わたしゃそこまで歳取ってないのに夕飯作るの面倒だよ。お父さんの場合は食べたほうが筋肉と脳に栄養がいくから、疲れにくくなるんじゃない? 栄養不足は色々億劫になるからね。レンジでチンできる料理は買っとくと便利だよ。あとはプロテインドリンクは簡単に栄養取れておすすめ。

 メールは上司のいない隙に書いてるから問題ないよ。長時間働いてると皆んなどっかでスマホいじってるもんだよ。



2019年12月12日(木)

 ばあ様からメール。

『◆ばあ様: フジマートへ行ってみましたか? ところで車は動くようになったのですね? 爺さんはラッキーな事にこちらに来る時は暖かくなっています。でもセーターは買いました。そろそろスカイプ電話を試してみませんか。私のパソコンも充電して欲しい。今夜にもつないでください。夕方の5時(そちら6時)以降だったらいいです。宜しくお願いします。

『◆私: バッテリーは2週間なら大丈夫、でも1カ月以上放っておいたらこれはまずダメだろう、3週間あたりが限界ではないかと思っていました。でもヤリスはうれしいことに一発で動いてくれました。これはすごい、と歓喜でした。フォードはウンともスンとも動きませんでした。まあ、これが普通でしょう、何しろ1カ月以上というのは長いですから。一人で二台を面倒みるのは無理なので、フォードはそのままガレージ前に置きっぱなしになっています。一台あれば十分です。

 今日は日本領事館の出張サービスがあるので、在留届の申請をする予定です。ただ、私の現在の住所は東京になっていますので、在留届がおりるかどうかは不明です。今日の申請は受け付けてもらえますが、その後の審査でどうなるか、といったところになります。もし下りないとなると年金がストップということになってしまいます。おそらくそんなことはないと思いますが。

 パソコンの電源は今、入れました。夜にでも、スカイプを教えてもらったとおりに動かしてみましょう。


 日本総領事館ゴールドコースト出張サービスへ行く。今日は空いていた。番号札をもらって町中をぶらつくつもりでいたが人数も少なく、椅子の空席もあってそのまま待つことにした。小一時間で終わった。

  昼はウドン、夜はジャガイモ。あいかわらずである。

『◆私: 今まで1時間ほどパソコンの前で格闘していた。お尻が痛くなった。結果は何とか名前の入力まではつながった。しかし、結果は「接続が弱すぎます。もう一度やりなおしてください」である。

そして、2回目の実行をした。でも、同じメッセージが画面に表示されるだけであった。もう、スカイプはやらない。1時間もかけてこの様では、疲れ果てる。



2019年12月13日(金)

 旅行の荷物を少しづつまとめている。ここは夏だが向こうは冬だ。どれをもっていくのがよいのか決めにくい。なにしろ冬ものなどもっていないし。

 昼にドンドンとドアを叩かれた。おばさんがいて青い車の所有者はあなたか、マドが開いていて嵐がきそうだ、もし所有者なら窓をしめたほうがいい、という。ヤリスの後ろのマドが開いている。昨日、サーファーズから帰ってきたとき締め忘れたようだ。雷がなりときどき雨粒が落ちてくる。以前に同じようなことで助手席を濡らしたことがある。ありがたい忠告であった。

 1時過ぎに雷が落ち、停電になった。サンダーストームのヘビー・レインである。今日は13日の金曜日である。電力は15分ほどで回復した。しかし、インターネットはその後もつながらない。

「TELSTRA GATEWAY MAX    Your WAN connection is down.  check your link and internet connection settimgs ... 」

  というメッセージである。思うのだがこちら側の問題なのかあちら側の問題なのかである。パソコンを下に下してプラグインでつなげてみた。症状は同じである。ということはインターネットが使えないということになる。どうする!!!

 問題は2つである。

 1」:家賃の支払い。日本に行く前に支払いをすませておかないといけない

  ■月曜日に銀行へいって処理する。お金に関しては町中のコイン・パソコンは危険であり使えない。

 2」:日本に行くについての各種の連絡

  もし、ショッピングセンターにあるコイン・パソコンが使えるならこれでいきたいが、コイン・パソコンのおいてあるところはどこかだ。おそらく音信なしで過ごすことになるだろう。

  今後のことを考えている。

 問:家のインターネットが使えなくなった時の対処法としては

 ●:スマホをバージョアップしてグーグルクロムを使えるようにする、ということだろう。

 今日も昼はウドン、夜はジャガイモ。

 体重=45kg:シャワーを浴びたあとの計測、1kgだが増えたことになる

 やることがないので本を読んでいる。まともに本を読むのも久しぶりである。しばらくはこういう日々になるだろう。

  夜、スマホをいじくっていた。少しでも理解しなというさしせまった要求である。息子と娘からメールが入っていた。息子は今日の雷雨の状況確認で、娘は1月20日のチケットを取ったというものである。この状況を利用して返信メールを使ってモデムが壊れて連絡がつかなくなるだろう、といったことをスマホの日本語キーボードを苦心惨憺で打ち込んで送った。文字の間違いだらけの文章だがやむえない。うまく送れていることを祈るしかない。スマホを使えたのは不幸中の幸いで、また「返信」という状況をつかえたのはラッキーなことである。スマホはそこそこ使えるようにしないといけないようだ。

 『◆私: インターネットが壊れた。モデムだろう。スマホでやっているが無理だ。連絡がつかなくなるだろう。 』

    


2019年12月14日(土)

 昨夜、娘へ送った二便目は送信できていないと思う。「送信」を押すが、送信されました、というメッセージがなく「Draft」という記号が出てくる。Draftとは「下書き」という意味ではなかったか。そうなると送られていないということになる。息子へのメールも送られていない可能性が高い。このスマホは使い勝手が悪い。安いだけのことである。LGの型落ちモノだからしかたがない。送信がわからない。   

 昼はウドンとお餅、夜はジャガイモ。うどんはなくなった。明日からお米となる。3日分の残りがある。

 娘からメールがきた

『◆娘:  あれま。あと4日だからスマホ頑張って。文章を送る方法はスマホ画像でもできるよ。紙をスマホで写真撮影。 Gmailの「添付ファイル」のボタンをおして写真を選択、送信。 あと、電話はつながるから飛行機の日はかかってきたら出てね。

 モデムは新しいのに交換しようと思う。

 日本にメッセージをもっていき、娘に送ってもらうことにしよう。

『◆息子へ :13日金曜日のストームは激しかった。近くにドーンと雷が落ちた瞬間、停電になりパソコンが切れた。停電は20分ほどで復旧したが、インターネットはつながらない。モデムに電源をいれると初期動作のあと、6ケのLEDが付きっぱなし状態にになる(時々、2.4GHzのLEDが点滅する)。 何んらかのダメージをくらったのだと思う。エラーのメッセージは次になる。

《  TELSTRA GATEWAY MAX    Your WAN connection is down.

   check your link and internet connection settings......  》

   そこでモデムを新しいのに交換しようと思う。

    モデムの型式・番号は

 《 TELSTRA Gate Way Max     C6300BD-1  TLAUS  Telstra 1273

    Telstra 1273-5G    2493522145  》

    です。

     コードを繋げるだけでセットアップなど必要ないなら、代替品を購入してこちらに配達してくれるようにしてもらいたい。

     必要要な費用はすぐに振り込みます。

     調べてみてください。  』

    古いパソコンのビスタのスイッチが入ったのでプリンタをつないでこの原稿を印刷する。娘に会ったとき渡してこの内容でメールしてもらう予定である。

 

 

2019年12月15日(日)

 洗濯をする。たいしたことないだろうと小物をどんどん入れたら脱水のとき洗濯機が悲鳴を上げた。脱水状態はひどく悪かった。

 スマホをいじくりまわしている。まちがって息子に電話が入ってしまった。沖縄にいるらしい。メモリ容量がないからダメ、とメールみたいなものが入っていた。なんだかよくわからない。午後にはLINEでばあ様とつながり、電話で話した。なんだかよくわからないままに動く。

 昼はお米を炊いた。旅行に出る前のお米が残っているのでこれを処理した。3合あり4日分になる。日本にいく日までは3日間だが、1日分は冷凍庫に入れて帰ってきたらすぐに食べられるようにしたい。夜はいつものようにジャガイモである。どうもこのところ食べ過ぎのようである。 

 今度の旅行で日暮里に3泊したのは娘の要求である。その結果、四ツ谷は3泊になった。娘にとって四ツ谷へ出るよりも近く、谷中の居酒屋に行ってみたいということだろう。私にとってもそれがいい。前回は四ツ谷に一週間やっかいになった。ウイークリーマンションを追い出された結果でありいたしかたのないことだ。今月は3泊、おそらく1月もそんなもんだろう。どう考えても一週間は長すぎる。四ツ谷への負担が大きいし、顔には出さないが心理的な負担も相当なものだと思う。1月はばあ様がまだ四ツ谷にいるからいいが、おそらく2月はいなくなっているから四ツ谷に行くことは控えないといけない。ホテル4泊、ないし5泊で方向で娘の好みに任せることになるだろう。

 息子からメッセージが入っていた。 

『◆息子: モデムが壊れたりの事ですが、調べたところ、家にいる状態でコールセンターへ連絡を入れて色々な手順を踏む必要があります。それかかなりの手間がありますので、僕が来週台湾意戻ったら「家に電話対応ができる者がいないのでお金は払いますから、代替のモデムを購入させていただくか、検証が必要なら技術者の方を派遣してください」と頼むのが一番簡単だと思います。

  とりあえず最低限のトラブルシューテイングを一緒にやってもらって僕が症状を把握し、その内容をもってコールセンターの担当者を説得しようと思います。

 夜になってスマホをいじっていたら、こん度これもつながらなくなってしまった。まったく分からない。



2019年12月16日(月)

  ドンドンわけが分からなくなっていく。もうダメだ。「アンドロイド・スマホの基本操作」とかいった本を日本にいったら探してみようかなと思っている。

 家賃4週間分を払い込む。この支払いをすると次の支払日は来年1月17日になる。

 昼は昨日作ったおにぎり。夜はジャガイモ。ヤバイ生ものは明日中に片付けるつもりである。ジャガイモなどは一週間おいても問題ないが果物等はそうはいかない。

 旅行の準備にとりかかることになる。ラナウエイベイの「 best & less」 でパンツを6枚買う。ちょっと高級品。$24。これを5枚もっていくことにする。ほかに前回ユニクロの2枚が向こうにある。6枚でいいのだが予備に1枚である。使った下着は向こうで洗濯をしてもらうことになるだろう。シャツはヒートテックがあるがどうなるか。靴下は適当とする。

  昨日は入っていた「Yahooニュース」が入らなくなった。スマホのせいだろうか。明日は WiFi の入るオーストラリアフェアーでもいってスマホを試してみようかと思っているのだが。ヤリスは家の前に移動させた。

 今日は風呂に入った。体重を計ったら45kgであった。旅行前は43kgであり、病院へいったのが11月04日、帰ってきたのが11月29日、このときは44kg、そして今日は45kgである。3週間ほどで1kgづつ増えているように見える。とはいっても旧来の50kg前後に戻ることはないだろう。ダメージをくらって体自体が軽量スタイルに変わっていると思われるし、年齢のこともある。おそらくいって47kgだろう。体力も低下しているから、もう21kmは走れない。もしゴールドコースト・マラソンに出るようなチャンスがあったなら「10kmラン」だろう。でもおそらくランニングを再開することはないのではないかと思う。同じランニングでも寿命と並走するランニングになっていくだろう。体力の低下とともに終わりが近づいてると思える。前回の旅行は死を覚悟しており、帰ってこられないと思ってもいた。食欲不振による体重の激減、体力低下で動くのもおっくうなほどであった。でも生きて元気に帰ってきた。となると残りの時を今とはちょっと変わった形で過ごし終わらせたいと思うようになった。最後の楽しみを前立腺肥大という病気と過ごし、それをきっかけで日本とオーストラリアを行ったり来たり、それに娘が便乗して居酒屋巡りである。もし元気であったらこんな風にはならないだろう。病気を使って人生最後の楽しみを実行しているような気がしている。

 

 

2019年12月17日(火)

 昨夜は面白い夢をみた。でも内容はまったく忘れている。午前中昼寝をした。昨日はよく眠れたのに、ということは昨日以前の睡眠不足が出てきたということであろうか。オーストラリアフェアーへいくつもりであったが、面倒くさいのでやめた。今日はよって一日家にいた。

 昼は冷蔵庫のご飯をチンしておにぎりとする。ご飯はまだ一食分冷凍庫に残っている。帰ってきてからの簡易食である。夜は最後のジャガイモである。

 来年度のカレンダーが郵便箱に入っていた。不動産屋のもので後ろがマジックシートで冷蔵庫などに貼り付けられるものである。プリンターで拡大して階下と書斎にはりつけた。来年の準備である。ちなみに、1月のダイアリーも作った。最初の書き込みは1月20日の日本行きである。

 旅行の支度をしているが、どうも頭がはっきりせず「これでいいいのだろうか」と不安がうずまいている。ばあ様が大きなスーツケースをもってきてくれとのことで、これに詰めるとちょびっとの荷物でガラガラすきの状態になる。それが不安をよぶのかもしれないが。なにか大きな忘れ物があるような気分になってしまう。とりあえず収めたがブカブカである。使い古したシーツを挟み込んだがブカブカはそのままである。ダンボールでも入れるかと思ったが、昨日処分してしまっている。何とか終えて階下へスーツケースを下ろす。あとは寸前まで使っている小物を収めるだけとなった。



2019年12月18日(水)

 ホテル・日暮里リブマックス 1泊目

 緊張しているのだろう5時前に目がさめてしまった。ふだんならベッドの中で6時ころまでウトウトすのだが、今日は眠れそうにないので、そのまま起きた。いよいよ一人での日本行きである。久ぶりのことである。

 今回の日本行きには「娘の誕生祝い」という面もある。

 息子の誕生日はそこそこ祝っているが、娘は日本へ行った以降祝ったことがない。12月21日では祝いようがない。今回は偶然にその日に私が日本にいることになった。娘に「誕生日おめでとう」というのはどのくらいぶりだろうか。

 7:30 ドアツードアバスをゲートの前で8時過ぎ待っていたがこない。

 ヤバイことになってしまった。家へ戻ってなんとか考えようと思っていたら、いい塩梅に隣のバアサンが家の前でタバコを吸っていた。いやなババアだが助けてもらうしかない。タクシーを呼んでもらった。8時半ころであったが、悠々間に合った。隣のばあ様に感謝、感謝である。バスは$31、タクシーは$107である。$76のオーバーである。3人半分ほどでイーブンになる。ちなみに帰りはサーファーズまでSKYバス$15、タクシー$25で$40になる。

 なぜバスは来なかったのか。あとでようく調べたら、コンファーム(確定)のチェックを入れていなかった。詳細が出てそれをプリントアウトしてホッとしたのであろう、こちらの大きなミスである。授業料みたいなものである。予約便を逃したらと思うとゾーとする。前回の運休停止、そして今回のバスミスと続いたが、ぎりぎりセーフで何とかなった。

 はじめての荷物のオートチェックであったが無事通過した。何かしらトラブルがありそうな「オーストラリアからの日本」という感想を持ってしまう。空港で朝食として持ってきたバナナを一本食べる。

 満席かと思ったら空いている。席は胴体の尻尾の部分で3席が2席になった窓際である。私は窓際はきらいで、いつもは通路側を指定するが、今回はバスに乗れなかったことで動転してしまい、指定するのを忘れてしまった。通路側は若い女性である。体調の悪い時の8時間は長い。飛び立ってやっと4時間が過ぎ半分きた。「あと4時間!!」「まだ半分!!」。耐えねばならぬ拘束である。となりの若い女性は気持ちよく寝ている。この女性はカナダへの留学を予定しており、今はオーストラリア一人旅の帰りだとのこと。小袋アラレを3つほど、マーズバーを2本ほどで昼食とした。カテーテル状態でトイレには3回行った。

 GC空港発 10:30 jetstar === 成田空港着 18:30 



 戻って来て3週間でまた日本である。

 ばあ様が来ていた。夕食は「野菜たっぷりチャンポン」を第3ターミナルで食べる。京成電鉄で日暮里へ出る。西口で娘が待っていた。ホテル・リブマックス日暮里へ向かう。10分ほど歩く。途中に階段があるという道筋である。日本に入ってすぐにイヤナ道である。さらにこのホテルの玄関は半地下で階段を少し降りなければならない。私にとってはきついエントランスである。手摺に捉まりながらゆっくり下りる。3泊で¥11,880-である。安いから勘弁する。。

 荷物を置いて、すぐに千駄木へ出て「串猿Z」というところで軽い到着祝いをする。¥3,520- AU$48.58-。

 話が進んでいて、今回、セカンドオピニオンで板橋の病院にいくことになっていた。平塚は遠いのでイヤだと言ったら娘が板橋の病院に予約を入れたとのことである。今回の旅行はこれがメインになりそうである。

 モデムについての息子への手紙をばあさんに預ける。

 ばあさんが持ってきてくれた洗濯ものと、運んできた衣料を整理したら夜中の1時になってしまった。



 2019年12月19日(木)

 ホテル・日暮里リブマックス 2泊目

 5時ごろに目が覚める。それからウトウトして6時半ごろ起きる。ホテルはよみせ通りに面している。部屋は2階で窓から朝の谷中が見渡せる。隣のローソンへ行ってみた。もう開いている。牛乳を買ってきて暖めてガブガブ飲む。8時頃にまた外へ出て、付近を見て回る。端的に言えば古さびた商店街にすぎない。それが昔のノスタルジアを感じさせるのだろう。セブンでタマゴサンドを買ってきて朝食とする。

 ダウンがない!、あわてた。空港でスーツケースに詰めたことは覚えている。その後、どうしたか記憶がない。飲み屋へ忘れたということもない。何処へいったのだろう。ちょうど、ばあ様が来たのでこの件を話したら、ダウンは成田の駅のホームでスーツケースの裏側にしまったという。そうか思い出した、そうだった。物忘れがひどくなっている。

 土曜日に板橋の病院でセカンドオピニオンの診察をうける予約をしているという。10:00の予定。また、息子への手紙はLINEで送ったという。郵送のつもりであずけたのだが。写真にとってそれをLINEで送ったとのことである。

 近くの店で魚料理の昼食を食べる。 「谷中冨じ家」という。ばあ様はカキフライ、私はギンダラ。ご飯をそのまま食べるのは久しぶり。いつもはオニギリとか寿司とかふりかけとかで、銀シャリそのものをお茶碗から食べることは珍しい。


 LINEのレクチャーをばあさんから受ける。少しづつ分かってきた。娘を使っていろいろテストしてみる。そのやりとりで谷中銀座の「すずき」のメンチと「さとう」のメンチが名物とのこと。メンチを買いに出た。「すずき」のメンチを買ってばあ様は帰っていった。



 夜はメンチとウインナパンになる。大瓶の麦茶を買ってきた。

 明日は娘の誕生日で店に予約を入れたという。忘年会シーズンでなかなか予約がとれないらしい。夜、やたらと娘からLINEが入る。予約がとれなかったのでウナギを土曜のランチに食べたいという。では明日の誕生日はどうするのかと聞くと、それはそれで食べたいという。土曜日は板橋の病院に行く日である。そしてホテルをチェックアウトする日でもある。どうなるのだろう。

 谷中には中華なら「一寸亭」、うどんなら「汐満」、ホテルの隣に「リバテイ」というパン屋があるとのことである。娘の情報である。 

 「ドクターX」の最終回ということで観た。 

  

 

2019年12月20日(金)

 ホテル・日暮里リブマックス 3泊目

 今日は天気がいいので周辺を回ってみようと思う。昼はウドンにしようとうどん屋を探しにいったが見つからない。団子坂下でわかりやすいはずだが。「へび道」というところへ行った。狭い道がクネクネと続いていた。それだけである。朝食に隣のパン屋の「リバテイ」でクロワッサンともう一つ買った。朝食が普通に食べられる体になっているということである。もともと朝食は食べないのに食べられるというのはどういう変化が体に起こっているのだろう。






 娘に誕生祝いのLINEを入れ、贈ったことを知らせた。折り返しで「スマホで確認した、大切に使うよ」とのこと。一寸亭を探しに谷中銀座へいく。これはすぐに見つかった。教えてもらったスマホ操作で写真を撮ってみた。階段先の三角アーチの向こうが谷中銀座になる。天気のいい日は富士山が見えるという富士見坂にも行ってみる。

 谷中墓地にも入って見た。中央に「さくら通り」があり、季節の頃は満開になるようだ。朝倉彫像館に回ったが今日は休みであった。

 谷中銀座の外れに「にっぽり館」という演芸場がある。といってもアパートの一階の一部なのではないかと見える建物で、二、三十席くらいのものではないかと思う。今日は開演日で着物姿の女性がビラを配っていた。それによると落語である。¥2500.11時開演で普通なら入るところだが、体調からして今日は遠慮しておく。








 

  昨日は「すずき」のメンチを食べたので今日は「サトウ」のを食べようかと思ったが開店していない。しかたなく「すずき」のメンチを買って帰る。どうも食べ過ぎになりそうである。

 地図によればうどん屋「汐満」はあるらしい。昼過ぎにもう一度出かけていった。あった。カウンターだけの狭い間口の店である。シャターをおろすとここにうどん屋があるとはまるで気が付かない、そんな感じである。看板もなくシャッターには何も書いていないので、シャッターを下ろすと忽然と姿を消すウドン屋である。娘の薦めるカレーうどんを注文する。カレーうどんに肉が多めに、それに茹で卵が入っている。カレーは白っぽくカレー味はするがカレーの色合いはまったくない。これで1500円は高いと思った。でも会計のとき940円とのことでそれなら納得である。では1500円のカレーうどんとはどんなもんなのだろうと疑問が湧いてくる。どうも肉が多めで野菜の天ぷらがつくらしい。


 午後昼寝をしているとドアをコンコンと叩かれた。ばあ様がやってきた。2時半頃である。3時過ぎにに出かけた。団子坂上の「森鴎外記念館」である。この場所に鴎外の自宅である「観潮楼」があったという。この場所からそのころは東京湾が見えたということになる。「森鴎外と永井荷風」展をやっていた。



 娘がやってきた。千駄木に行く途中で出会う。今日は娘の誕生日になる。予約がとれなかった「千駄木 にしきや」へいく。うまい具合に2階があいているとのことで席がとれたとのこと。

「おめでとう」娘の誕生会となる。



 

2019年12月21日(土)

 四ツ谷 1泊目

 板橋の病院へいく。パジャマなどを詰め込み西日暮里でスーツケースをコインロッカーに預け、病院から帰ってきて西日暮里でウナギを食べる予定だったのだが、千駄木から地下鉄で大手町に出て、ここのコインロッカーに預けることになった。でも9:20に大手町で娘と合流するがコインロッカーが500円もするので、娘もいることだしと、そのまま病院に持っていくことにする。

 板橋の病院に着く。ここは町場の病院とは違い大きなビル一棟丸々病院という大病院である。手続きをし待合室で待っていると看護師さんがやってきて状況その他の聞き取りを受ける。次に他の病院のカテーテルを入れた状態で血液検査、エコー検査、尿検査などを行う。大病院だけあって親切に説明対応してくれてばあ様はこれに感激してしまう。先生の診察が終わったあと看護婦さんがきて、今日土曜日は大学病院からの出張先生なので、平日の日での診察をお勧めしますと言ってきた。費用は保険が効いて¥3,640ーであった。

 西日暮里に戻り「稲毛屋」というウナギ屋へいく。二回目の娘の誕生会になる。ここはばあ様持ちであったがカードが使えず現金払いになったとのこと。この時期カードの使えないというのは珍しい。


 大手町で娘と別れて、四ツ谷へいく。
夜はオデンであった。



2019年12月22日(日)

 四ツ谷 2泊目

 高校駅伝と有馬記念を見る。昼は昨日の残りのオデンを食べる。

 ヨシコさんを入れて三人で新宿へ出る。私は紀伊国屋でアンドロイド・スマホの参考書を買う。地下街で夕食をとる。ビールを飲む。久しぶりのビールである。

 

 

2019年12月23日(月)

 四ツ谷 3泊目

 近くのイトーヨーカ堂へいって、隣のばあさんへのお土産にキットカットを買う。そのほかもって帰るお餅、スープなどの食品を買う。イートインがあり昼はホットモットで野菜炒め弁当を食べる。

 3時過ぎに神田の病院へいき、カテーテルを交換する。次は1月22日の交換ということになった。

 娘がくる。四ツ谷の鉄板焼き屋「つなぐ」へ行く。 



2019年12月24日(火)

 成田---GC 機内泊

 WiFiが繋がるところを求めて四ツ谷を歩いてみたが、freeーWifiでもつながらない。ホテルのWiFiがなんでつながったのかわからない。昼はベローチェで明太子ソーセージパンであった。


 3時前に四ツ谷を出て、銀座から4時の予約の成田行きのバスに乗る。手続きが始まったところなのですぐにチェックインをした。これが大失敗。後の話だがゴールドコースト空港では荷物はケツから2番目、入国の行列は後ろから3人目となりエラク時間がかかってしまった。成田の第三ターミナルでうどんを頼む。ばあ様と別れて、出国フロワーへ入る。

 成田空港発 20:55 jetstar:

 客の入りは3/4くらいか。そこそこに空席がある。私の横も空席である。順調にオーストラリアへ向かう。オーストラリアは夏休み、日本は冬休み、よって飛行機は満席となるのがこの時期である。ただし25日のクリスマス便のみは空席がある。このことは長年の経験で知っている。だからこそ日本へ行くスケジュールが立てられ、帰ってこられたのだ。

 カテーテル交換のための日本旅行であったが、セカンドオピニオンということで板橋の大病院へいったことで忙しいながらもドラマチックな展開となった。ばあ様は神田の病院が嫌いで、板橋の病院がいいという。私は最初からかかった先生でいいと思うが、次は4週間後なのでどのようになるであろうか。



2019年12月25日(水)

 GC空港着 06:20 jetstar。

 日本滞在1週間でまた帰国である。

 「eパスポート」というのがある。パスポートの表紙の下にマークがついている。私のパスポートにもある。ということは日本の最近のパスポートはすべて「IC チップ」が埋め込まれているページがあって、そのパスポートだと自動チェックで、あのどきどきする係官の前での出国チェックがなくなる。初めてのことでやってみたら、顔認証ですんなり通った。


 ここは良かったがスーツケースが出てこない。ラス前で出てきた。成田で早く預け過ぎたのである。ためになんと旅客最後尾から3番目で到着ロビーへ出たことになった。

  SKYバスのカウンターがクローズしている。横に自動販売機があったのでいろいろやったが動かない。警備員に聞いたらバスの発着所の前にもあるということでそちらにいく。国内線のお客用のカウンターでここはオープンしていた。つまり国際線はクリスマスで今日はお客が少ないのでクローズということのようである。発着所の前なら常にここで買えばいいということである。チケットは$15である。天気は時々雨。ビーチポイントからホテルまでちょっと歩くのでやばいかなと思ったが、雨の合間となり、わずかに濡れただけであった。タクシーを呼んでもらい帰ってくる。$25。今日はクリスマスで一年でもっとも静かな日である。

 帰って少したったら隣のおばさんが領事館の書留の在留証明書をもってきてくれた。預かっていてくれたらしい。思ったより親切なおばさんである。行きがけのタクシーで世話になっており、お土産にもってきた日本のキットカットを贈る。在留証明書が発行されたということは、年金はこれまで通りだということになる。

 8時半ころ家に着いたので、朝食でお餅を2ケ焼く。昼はラーメンである。クリスマスだから店は全部閉まっている。明日は買い物をしないといけない。

 夜もお餅だろう、そう思っていたがどういうわけかラーメンを作っていた。水分を欲していたのだろう。汁はすべて飲み干した。 

 夕方、5時半頃に風呂に入る。出たあと体重を計る。47kgである。元にもどりつつある。体重の減少により腹が凹んで腹筋に縦縞ができていたが、これもとれてきた。体力は順調に回復している。

 神田の先生が手術をしようというのは分かる。これなら大丈夫だということである。ばあ様はこの医者をすこぶる嫌いなのだ。娘は板橋の病院の方が大病院で手術設備が最新式がそろっているのでそちらがいいという。私はどちらでもいい。腎不全が消えた今、死に至る病ではなくなっている。

 要は術後のケアの負担がどれほどか、ということである。こちら外国に住んでいるわけであるから、家族がそうしたいなら神田を蹴って板橋の病院にしてもいい。もしそうするなら、1月に行ったときに手術の日時をはじめとする段取りを決めないといけない。板橋の医者がどんなもんか、ばあ様が気に入るかである。

 ばあ様は神田の先生にカテーテルを取り外してみたい、と言ったので少し面倒なことになってしまっているが、まあなんとかなるだろう。もし神田をやめることになってもいいように、そのきっかけとして負担の少ないオーストラリアでの手術の選択肢も匂わせておいた。

 スマホは通じない。娘のところには届いていない。ばあ様のところにはこちらから見るに届いているらしいのだが。でも、ばあ様からはなんとも言ってこない。言ってきているのだろうが通じていないということだろうか。

 娘へは手紙を書いた。1月の段取りである。20日にいくことだけが決まっていてあとどうするかはペンデイグであると言っておいた。大まかの段取りが分かれば娘としても動きやすいというものだろう。

 


2019年12月26日(木)

 5時に目が覚めてしまった。ばあ様への手紙を書き、娘への手紙と一緒に投函する。少しづつ旅行の時のダイアリーを書き始めている。

 1月に板橋の病院での手術を申し込んでも3カ月は見込まないとならないだろう。とすると手術日は4月になる。風をひいたのが8月14日、風邪薬の副作用として尿がでなくなり、前立腺肥大症が発症したのは8月17日である。とすれば1年とみて7月いっぱいでほぼ完治ということにしたいと思う。

 朝食・昼食は冷凍庫に入れておいたご飯を解凍してオニギリとする。夕食はアルデイで買ってきたジャガイモになるだろう。

 日本へ行って帰ってきて体重は2キロ増えている。そのせいか体力が回復してきている。歩くことに不安がなくなってきている。医者の話では病気の状態は収まっているという。これが「これなら手術ができるから3月に手術はどうか」と言われることになった理由である。これは1カ前(11月25日)に行った血液検査の結果を見ての話であるから、11月04日にクリニックにかかり、11月25日には正常な状態に戻ったということである。つまりカテーテルをつけることで3週間ほどで回復したということになる。この間、ずっと日本にいたことになる。12月23日の検診ではこの結果からしてこれまで行ってきた血液検査はやっていない。それでも今回日本へ行く前は45kgで歩くのはイヤイヤであった。一週間ほどで帰ってきて47kgに増え、体力的に自信がついてきて、散歩を再開しようかと考えているほどである。食欲が異常に出てきているので、そちらの方が逆に心配になる。

 5時過ぎに散歩へ出かけた。本当に久しぶりの散歩である。サッカー場折り返しで2キロほどである。楽に歩けた。テスラのベアフット・シューズである。



2019年12月27日(金)

 フジマートへ行く。$30.35ー。


 朝はバナナ。昼はフジマートのパン。3時はお餅。夜はジャガイモ。

 夕方、50分少々ほどの散歩をする。1キロ13分なら4km歩いたことになる。1時間歩けるようになったということである。シャワーを浴びたあとの体重は 47kg と変わらない。

 


2019年12月28日(土)

 お飾りをしつらえる。

 仏壇、玄関、キッチン、ランドリー、風呂場の5カ所で、ガレージとベッドルームは省く。切り餅を置き、その上にライムを載せるつもり。ライムは30日あたりに載せた方がいいと思うのだが。

 昼はウドン。夜はジャガイモ。

 午後に内海沿いにサウスポートまで1時間ほど散歩した。

 スマホが動かないのはSIMカードのメモリがゼロになったせいだと思う。年がかわったらチャージすることになるだろう。年内から年の初めは連絡不能にしておいた方がいい。ちなみに日本からホーム電話にはつながる。でも電話代が高いから使わないだろう。こちらからはかけられない。

 「太公望」<宮城谷昌光>を読み終える。繰り返し読んでいる。今回で4回目くらいか。



2019年12月29日(日)

 アルデイへ2回行く。昼はウドン、夜はジャガイモ。

 40分散歩:ホッケー場往復。


 

2019年12月30日(月)

 最後の洗濯をし、シーツと枕カバーを洗う。年末の掃除をする。ライムをお餅に飾る。

 昼はウドン、夜はジャガイモ

 50分散歩:サッカー場往復。 



2019年12月31日(火)

 大晦日である。昨夜はスマホの件で寝られなかった。本を読んで夜を過ごした。

 ラナウエイベイのボーダフォンで40ドル分リチャージした。果たしてこれでつながるのだろうか。動き始めているのだが。LINEの返事がこない。オー、ばあ様からも娘からも返事がきた。つながったようだ。やはり原因は容量の不足のようである。でもまだインターネットバンキングには入れない。

 昼はウドン、夜はジャガイモ

 50分散歩:サッカー場往復。 

 

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   2020年1月

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 2020年01月01日(水)

  元旦:7時頃、起きる。2020年である。

 昨年はいろいろありすぎた。今年もそこそこありそうな予感がしている。四ツ谷への年賀を投函する。

  スマホでばあ様、息子から年賀メールが届く。娘からはジェットスターの席の予約表が届いた。息子は3月に帰ってくると言ってきたので、4月に手術をうけるかもしれないので5週間ほど家を空けるのでよろしくと返事をしておいた。了解とのこと。

  「香乱記}<宮城谷昌光>を読み終える。

  昼はお餅1ケとオニギリ2ケである。午後にオニギリ1ケを食べる、ちょっと食べ過ぎだろう。夜はおにぎり1ケ。でもこのおにぎりデカイ。一日オニギリ4ケはやはり食べ過ぎである。1.2 合分である。これが今年のおせち料理である。夕方には300mlのお酒を開けた。お正月のことなので少しのお酒はいいだろう。一人暮らしでカテーテルの助けを借りている身体ではこんなものだろう。

  カテーテルを入れてから食欲がいく。以前より3割以上多く食べているのではないか。以前は朝食なし、昼は1食半、夜はオカズのみであった。それ以上たべるとお腹が張ってゲリになっていたのだが。牛乳も飲めるようになった。以前は牛乳を飲むとゴロゴロしてこれもゲリをしていた。なにか体がこれまでとは変わってきており、相当に心配気味になる。こんなに食べて飲めるというのはやはり異常としかいいようがない。

  42分散歩:ホッケー場往復。

   体重47kg:変わらず

 

 

 2020年01月02日(木)

  4時前には目が覚めて眠れない。よって5時前に起きてこれを入力している。午前中に2度も昼寝をしてしまった。

  「初夢」というのは2日の夜観る夢をいう。夢というのは寝ている間にたくさんみるのであるが起きて、目を開けた瞬間に忘れてしまうものである。この時消えずに記録に残ったものが夢として登録される。「消えない」というのは衝撃的なもの、ビックリするようなもの、なのだったからであるといえる。昨夜みた夢で残っているのはこんなものである。

 『  病院の先生の前にいる。先生が言う。

  「何処が痛いのですか」

  「痛いところはありません」

  「どんな具合なのですか」

  「調子はすこぶるいいです」

  先生はそれを聞いてなんで病院にきているのかと侮蔑の態度になる。

  しかたがないので8月14日以降からの経過を説明する。

  「19日に手術しましょう」

  「えーっつ、手術は3カ月後でないと空いていないということでしたが」

  「19日に空きができました」

   そういわれても、ここで迷う私がいる。19日ということは至近・目の前の日である。

   日本に住んでいればすぐに「よろしく」と答えるのだろうが、スケジュールを考えないといけないと逡巡する私がいる。

  てな夢である。

   昨夜、娘からLINEが入る。1月の日本でのスケジュールである。分かりやすくまとめてみる。

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 20日(月):GC---成田 銀座へバスで出る。日比谷線で銀座ーーー入谷 桜旅館:第1泊目

 21日(火):フリー 桜旅館:第2泊目

 22日(水):午前中神田の病院へ、カテーテルを一度外す 桜旅館:第3泊目

 23日(木):桜旅館チェックアウト 病院へ、カテーテル再装着

       OYOアーバンステイズ浅草 15:00チェックイン :第1泊目

 24日(金):フリー OYOアーバンステイズ浅草:第2泊目  

 25日(土):フリー 娘が浅草にくる OYOアーバンステイズ浅草:第3泊目       

 26日(日):10:00  OYOアーバンステイズ浅草チェックアウト

       エスペリアイン日本橋箱崎 15:00チェックイン 第1泊目 

 27日(月):午前中 板橋の病院へ

       エスペリアイン日本橋箱崎:第2泊目 

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    というスケジュールである。居酒屋巡りに加えてホテル巡りになりそうである。返信を送る。

 『娘へ: 居酒屋巡りの次はホテル観察のようですね。スケジュール的にはいいと思います。12月26日に手紙を送っています。その内容とほぼ同じです。ただ前の一週間をウイークリーマンションにするか、入谷に5泊にするかの違いだけです。

  板橋の病院の予約は2週目を予定していましたので月曜日でも火曜日でもいいです。あとあとばあ様がうるさいですからよく打ち合わせてください。詳しい内容ありがとうございます。 』   

    今、ちょうど6時である。昼食、夕食は昨日のご飯が残っているのでおにぎりとした。

      今日一日いっぱいかけての娘とのやりとりで2月03日が帰国日となり、

   0」:1月20日 GC===>成田 「BBIB5L」  JQ11

   1」:20,21,22日   入谷 桜旅館

  2」:23,24,25日   OYOアーバンステイズ浅草

  3」:26,27,28日   エスペリアイン日本橋箱崎

  4」:29,30,31,01,02日 四ツ谷 5泊

  5」:2月03日 成田===>GC 「JETQXV」   JQ12

   というスケジュールになった。実質2週間、足掛け半月である。四ツ谷の5泊はちょっと失敗である。4泊が上限だと思う。あまり負担をかけたくない。でなくても負担をかけているのだから。

    51分散歩:ガバメント・ロード南の折り返し。

   

 

 2020年01月03日(金)

   このところ4時前には目が覚めている。習慣づけられているのか。本を読み、5時少し前だがパソコンにむかってタイプしている。外は完全に明るい。散歩の人もいる。日の出が早くなっている。夜眠れないということに不安はない。昼間ウトウトしているので睡眠不足というようなことではないが、朝早すぎるのも少々苛立つ。昨夜の夢が初夢になるはずだが、覚えているような夢はなかった。やはり元旦の夜の夢が初夢となりそうである。

   なにしろ4時過ぎには目がさめているので、今日は午前午後と昼寝である。

    ラナウェイベイにいった。すごい人出である。でもウールワースは空いていた。

   昼はウドン、夜はジャガイモ

   57分散歩:ガバメント・ロード南往復

   体力が回復するにつれて、疲れも出てきているようである。これまでは体力の低下で疲労はそちらの方が主であったが、溜まっていた日本でのストレスが少しづつ姿を現してきているのかもしれない。手術という緊張感で当面は抑えれれるが、これが最後の輝きで以降はガックリくるかもしれない。

   

   

 2020年01月04日(土)

  今日は7時前に起きたのであるが、どういうわけか午前中に昼寝をしてしまった。11時半に起きた。食欲のことといい、睡眠のことといい、なんだかわけのわかんないことが発生している。

   ばあ様が2月3日に一緒に帰ってくるとのLINEが入っていた。日本に行ったのが昨年の10月末ころだから3カ月少々の滞在となる。

 「手術のときは私がいなくてもいいでしょう。2月からは英会話教室も始まるので」

と言っていたのでそれに合わせたのだろう。

 これで1月の予定の概略が決定した。ホテルのハシゴについてのクレームはなかった。ばあ様いわく「歳とったら若い人にまかせておけばいいのです」と、ときどきすごいことを言う。

  お飾りを外す。仏壇のお酒は七草までである。

 アルデイではレタスが2ドルから3ドル50に値上っていた。 

   昼食:お餅3ケ、おやつ:お餅1ケ、夕食:ジャガイモの予定

    55分散歩:ガバメント・ロード南往復

  

 

 2020年01月05日(日)

  お米を2合炊く。今日と明日の分半々である。今日の分でおにぎりを3つ作り昼食に2ケ食べる。夕食はおにぎり1ケである。

  夕方、となりのおばさんがやってきて、なにか問題はありませんかと言ってきた。女房が2月3日に帰ってくると言っておいた。女房がいなくてたいへんだろうとおもったのだろう。

   55分散歩:今日もガバメント・ロード南での往復である。 

   「お腹召しませ」<浅田次郎>を読む  



 2020年01月06日(月)`

   5時に起きる。曇り空。三ガ日の後の4日5日は土日でお正月風分である。今日から平常日に戻ることになる。

   オーストラリアフェアーへいった。何も買わずに帰ってきた。カテーテルの止めの部分が劣化しつつある。開閉栓はカテーテル・チューブに穴をあけ、そこにイボのような突起(これも強化ビニール)を差し込んで止めてある。穴の左右の部分は狭いので劣化すると切れる恐れがある。その時どうするかと考えている。ゴム輪で止めるのが一番いいだろう。ダイソーで見ていたら指サックがあった。これはどうだろう。止めの部分を上からすっぽりかぶせてしまえばいい。ただ太さが合うかである。指サックの方が太いかも。切れたときの対策をいろいろと考えている。

   最近頻繁に尿意が発生している。病院でもらったカテーテルを外す対策としての薬のせいだと思う。カテーテルを入れていると尿意が発生しない。開閉止め部分をはずすと勝手に尿が出ていくだけである。尿意がないので多量の尿が溜まる。このところ、といってもここ数日であるがトイレに行きたいと感じるようになっている。回数が多いので量は少ない。でも尿意が発生していることは確かである。クスリが効いているのであろうと思う。尿意が発生する回数分止メ部分の開け閉めとなる。ビニール製の柔い止め部分を酷使するので劣化が進行する可能性が大きいと踏んでいる。いろいろやってみて小ぶりのバンドエイドで抑え込んでもなんとかなりそうである。

    残りのご飯一合をおにぎり3ケに別ける。昼食2ケ、3時に1ケ。お米一合(カップ1杯)はだいたい150gである。昼にウドンを食するときはは150gである。100gで一食とすると一食半になる。でもお米のほうがウドンよりはるかに重い。夕食はジャガイモ。

  前立腺肥大症の発病が8月14日、日本でカテーテルを入れたのが11月04日、この間「2カ月と20日間」である。日本の病院へ行ったことで人生のタガの一本が外れてしまった。ウイークリーマンションに15泊し、四ツ谷に一週間泊まることになり、自宅に帰ってきたのは10月下旬に九州に出発してから1カ月少々後のことになる。その後は人生のタガを自ら外している感じがする。半月ウイークリーマンションで生活したことは、まさにタガが外れる最大のキッカケであったと思う。とりたてて何もない、というよりも何もできない生活を送ったことで意識が深層のところで変わったように思える。10カ月とみて6月中頃までは前立腺との戦い、というより病気との協働生活ということになりそうである。つまりそういうタガの外れた時間を過ごしそうである。

  オーストラリアの片隅でひっそりと暮らそうと思っていたのだが、このところの成り行きはアダ花のような感じでその生き方を乱している。まあ、ここ一年のイベントみたいなものだろうが。思ってもみなかったことが起こるのが人生というものなのだろう。

    ばあ様からLINEが入る。手紙が届いたとのこと。12月26日に出した手紙が届いたということだろう。

    56分散歩:サッカー場入口往復。

 

     

 2020年01月07日(火)

  フジマートへいく。昼食はフジマートで買ったナッツロールパンとバターロールパン。夕食は残りのナッツロールパン。

  松岡歯科はNSWに引っ越したようだ。日豪プレスに広告が出ていた。同じく日豪プレスにサーファーズに日本の歯医者のいる広告が出ていた。「Exceptional Dental」というところで「日本人の女性歯科医が常駐」とある。歯科医の名前は「Dr.榎本亜里沙」という。

  Shop 3, The Moroccan 7-11 Elkhorn Ave, Surfers Paradise QLD 4217  月曜日---金曜日 9:00---5:30

  Tel  (07)5504 7002   Email: info@exceptionaldental.com.au

   64分散歩:オルセン・アベニュー往復。オルセン・アベニューまで足を伸ばしたのは久しぶりのことである。  

  

 

 2020年01月08日(水)

  朝の4時に起きてしまった。「播磨灘物語」を読み終える。初版本で四ツ谷の棚にあったのでもらってきたものである。そのせいで午前午後と昼寝をする。 


  あと2週間ほどだがどうもそれまでの食料の買い物の量が分からない。どうしても買い込み過ぎてしまうようだ。

   風呂を沸かす:体重は変わらず47kg。

   69分散歩:オルセンアベニュー往復。 

   

 

 2020年01月09日(木)

  起きたのは7時半。昨夜の風呂が効いたか。今日は久しぶりに気温が高い。午前午後と2回昼寝する。2回昼寝が習慣になってしまったか。

   「人口と日本経済」<吉川洋著>読み終える。

 

  当初、昼はウドンにする予定でいたが、おにぎりが食べたくなってご飯を炊いてしまった。これで明日もおにぎりということになった。夜はやはりジャガイモ。

    55分散歩:ガバメント・ロード南往復

 

 

 2020年01月10日(金)

  TU君から雑誌・手紙、それに新聞が届いた。新聞は配達マンがもってきてくれたのでもしかしたらと思って郵便箱を見にいったら郵便局にレターが届いているので取りに来いという案内カードが入っていた。手紙と雑誌であった。

 手紙の一部をコピーしてみます。

   昼はおにぎり、夜はアルデイで買ったクロワッサン。アルデイのクロワッサンとはどんなものか試したくなって買ってみた。3ケで2ドルである。値段相当でまあまあである。

   「天璋院篤子」<宮尾登美子>上巻を読み終え、下巻も途中まで読んだがそこでやめた。皇女和宮降下あたりである。この部分はどうも気分がのらない。


 
    52分30秒散歩:調子よく歩ければガバメント・ロード南往復はこのタイムになる

  夜、TU君への年賀状を書く。

 


 2020年01月11日(土)

   娘とやりとりがあり、「日本橋箱崎3泊・四ツ谷5泊」が「日本橋箱崎2泊・リブマックス浅草橋2泊・四ツ谷4泊」に変わった。「四ツ谷5泊はきつい、カテーテル挿入状態では神経を使う、4泊でやってくれ」といっておいたので下記のごとくの変更である。

  20、21、22日 入谷・桜旅館

  23、24、25日 浅草・アーバンステイズ

  26、27日   日本橋箱崎・エスペリアイン

  28、29日   浅草橋駅前・リブマックス

  30、31、01、02日 四ツ谷

  さらに夜まで変更が続いた。日本橋がとれなくなってしまったのだ。その分浅草が長くなった。そして最後はこうなった。3泊、5泊、2泊である。そして四ツ谷で4泊である。

  20、21、22日 入谷・桜旅館

  23、24、25、26、27日 浅草・アーバンステイズ

   28、29日   浅草橋駅前・リブマックス

  30、31、01、02日 四ツ谷

 昼はうどんとクロワッサン1ケ。夜はジャガイモ。

   54分散歩:ガバメント・ロード南往復。雨にラストの15分ほど降られた。傘は持っていったが、ベアフットシューズは底が薄いのでぐしょぐしょである。

  TU君への年賀状を書き上げ投函する。 

 


 2020年01月12日(日)

  水分を摂るとお手洗いに行きたくなる。あきらかに尿意で薬のせいだろうと思う。お手洗いへの回数がやたら多くなってきているので面倒である。それだけ水分を摂っているということなのであろう。

   「天空の船」<宮城谷昌光>読み終える。



  昼は おもちの予定であったが煮込みうどんが食べたくなって作った。ザルうどんの倍の手間がかかるので普段はやらないのだが。夜はジャガイモ。

 散歩はベアフット・シューズを使っているが、調べてみたらカカト底が擦り切れて、完全に穴が開いて下地が見えている。もう少し早く気がつけばよかったが、補修をかけることになった。このシューズの補修作業は半年ぶりくらいになるか。補修をしながら使ってあとどのくらいもつものなのであろうか。

   51分散歩(Runing S):ガバメント・ロード南

 ニューバランスのキッド用ランニングシューズの新品を下ろした。キッド用の  細身の作りため右足親指下の付け根骨のふくらみがシューズに当るのでどうかなと心配していたが、慣れてきたのだろう30分を過ぎた頃には気にならなくなった。ただこれで走ると結構擦れて痛いのではないかとも思う。まあ、走ることはないが。

 

 

  2020年01月13日(月)

   昨夜は涼しくヒートテックのシャツを着た。それでも夜中はさらに寒く毛布を出してきて寝た。

     53分散歩:ガバメント・ロード南。曇り空で涼しい。気分もよく体調もいいので朝方の散歩をした。午前中の散歩は久しぶりである。それに修理したベアフットシューズを試してみたかった。小一時間歩いたがやはり補修材の擦り切れはそこそこ大きい。帰ってきてすぐに修理をした。一時間歩いたら修理しないといけないようである。使ったら必ずダイソーで買った靴底修理材で手当てすればこれ結構長くもつのではないだろうか。擦り切れるのはカカトの外側部分のみに限られている。そこへの補修がうまくできていればいいのではないだろうか。

  昼はお餅。夜はジャガイモ。

    一週間後に日本へ行き、3週間後にばあ様が帰ってくる。あのばあ様のことだ、家の中が旧態と同じでないとうるさく言われる。前はどうだったかを思い出しながら、配置しなおさないといけない。 

    63分散歩:オルセン・アベニュー 夕方も散歩する


 

 2020年01月14日(火)

  昨夜、ばあ様からテレストラの請求書が送られてきた。スマホでの払い込みができない状態なので今朝、サンコープへいってばあ様の口座に入金する旨をラインした。口座番号、場所、金額等を知らせてくれるようにと。折り返しANZ銀行での支払いとのことで、日本に来たときに行うという返事であった。スマホをチャージしておくようにとも言ってきたが、大晦日に40ドルやったばかりである。

   ラナウエイベイの銀行へ行き、小切手で家賃を支払う。つまりインターネットでなく小切手での支払いもできるということである。当たり前のことであるが。ということはここでも普通預金からカード口座へ振り返えができるということであろう。

   昼はオニギリになる。一合でうまく炊けるかやってみようと思っている。これまでは2合炊きをして、2日に分けていた。一日分ならどうなるか、うまく炊けるのであろうか。うまく炊けた。夜はジャガイモ。

     63分散歩:オルセン・アベニュー往復

   夜、洗濯をした。

  「壬生義士伝」<浅田次郎>読み終える。浅田次郎は泣かせる小説を書かせるとピカイチである。泣かせる小説の名手といってもいい。

 


  

 2020年01月15日(水)

  「世界の運命」<ポール・ケネデイ 中公新書>を読む。

 







 昼はうどんと思っていたのだが、突然オニギリが食べたくなってご飯を炊いた。何を食べたいかというのはその時になってみないとわからないものだ。

       65分散歩:オルセン・アベニュー往復

      

       

 2020年01月16日(木)

  ラナウエイベイの銀行でカード口座に普通預金から$2000ーを振り込む予定でいたがやめた。カード口座への入金方法はいくつかある。一つはインターネットで行う方法、2つ目は銀行へいき普通預金からカード口座へ振替る方法、3つめは銀行に小切手で入金する方法、4つめは小切手をカード会社へ郵送する方法である。今回は2番目をやるつもりであったが、調べてみたら口座がマイナスになっても過払いのクレジット制限がある。これなら十分に間に合いそうなので、帰ってきてから処理をしても問題なさそうなので、今日の銀行行きはとりやめた。

   今日を含めて4日である。お米は5合、うどんは3食分残っている。夜はいつものようにジャガイモにすれはいいことで手持ちで充分に間に合う。今日はうどんにする。昆布汁はあと一回分しかない。ちなみにドレッシングは夕食でおわるだろう。そのあとは塩ということになるが、それともフジマートへいくか。夕食はジャガイモ。ドレッシングが終わった。

  「そんなバカな! 遺伝子と神について」<竹内久美子>を読み終える。  

  「文明の衝突と21世紀の日本」<サミュエル・ハンチントン 集英社新書>を読む。

 

     63分散歩:オルセン・アベニュー

   体重48kg::シャワーを浴びた後は計ったら48kgであった。

  村上春樹の「走ることについて語るときに 僕の語ること」を読んでいる。こういう本読むと私も走りたくなる。でももうしばらくは走れないだろう。昨年8月の発病から走ることがほぼできなくなっている。確か一度走っているが、その後にひどい目にあっている。手術を終えてしばらくは無理で、もし走れても来年3月、75歳からで距離は10kmをゆっくりゆっくりになるだろう。ハーフは去年で走り納めである。ということは1年半ランニングはナシということになる。最近やっと一時間歩けるようになったが、帰ってきたら朝夕一時間を2回歩かないといけない。体力が回復してくると欲が出てくるものである。来年のGCマラソンには10kmでエントリーしたいものである。これも欲である。手術後の体がどうなるのかわからないので、とりあえず目標だけは立てておこうと思っているのである。  

   

  

 2020年01月17日(金)

   荷造りを始める。今日を含めてあと3日の余裕があるのだがどうも日本行きに気分がのらない。いやだというわけではないのだが前向きになる度合いが低いということである。テンションが上がらないということだろう。それを振り切るために早めに荷造りをして体と気分を慣らしているというわけである。半月の滞在になってしまったし、今回は日本からパジャマなどの荷物を引き上げてこないといけない。スーツケースも大きいのにするか小さいのにするか悩んでいる。小さいのに詰め込んで余裕がないようなら大きのにかえようと思っている。何か気が重いのである。

  ダイソーで旅行用のメッシュバッグを2ケ買う:$5.80-

   昼はオニギリになってしまった。フジマートへはいかなかった。夜はジャガイモ。

   「走ることについて語るときに 僕の語ること」<村上春樹>読み終える。

 

  54分散歩:ガバメント・ロード南。散歩に出かけようとしたら雨がポツンポツンと落ちてきたのでやめた。途中でふられるのは傘をもって出ているのでかまわないが始めから雨では行く気にならない。ところがすぐに止んでしまったので’また出かけた。

  娘とラインでやりとりをした。わかったことはクレジットカードでお金をおろすことがコンビニでできるということである。日本にいったらカードで現金を降ろせる銀行を探さないといけないと思っていたのにアッサリとコンビニでOKということになってしまった。これには驚いた。上限は10万円らしい。外国の観光客が多くなってサービスがとてつもなく発展しているということだろう。保険などの支払いを含めて10万円は引き出しておきたい。コンビニで下ろせるなら焦って大金を下ろす必要もない。必要に応じて少しづつ下ろせばいいということである。

  ばあ様は風邪を引いているとかいってきた。うつして欲しくないので迎えはいいですよ、といったらそれまでには治るだろうし、マスクして行くという。来なくていいよ! 怖いよ。今回は半月と長期の予定だから風邪をうつされたら悲劇だ。

   体重48kg::今日も計ってみた。やはり48kgで間違いない。

  

   

 2020年01月18日(土)

   夜明け前の3,4時間にすごいストームがあった。雷を伴った豪雨である。幸いなことに風はまったく吹かなかった。朝みると緑地は洪水である。大量の雨が降ったせいで気温がガクンと下がった。半ズボン、Tシャツだけではいられなくなりジーンズと上に1枚着ることになった。

 本格的に荷造りに入る。いつも思うのだが「何か忘れていないか」という不安が土壇場まで脳裏にこびりつく。そして最後に「まあいいや、その時はその時、パスポートさえあれば」で諦めを優先させる。今回はもっていくものより持ち帰るものの方が多い。果たして持って帰れるのだろうか、という心配が優先してしまう。下着類とセーターは何とかなるがパジャマと向こうで買うであろうジーンズなどが大きな荷物になるだろう。

 明日、洗濯をする予定でもっていく下着とシーツを洗いたいと思っているのだが降水確率は60%から70%だという。下着は洗濯できるがシーツはどうかな。下着はもっていくのでどうしても洗わないといけないが、別にシーツは洗濯しなくてもいい。シーツの洗濯がないなら今夜洗濯して明日中にゆっくり乾かせばいいことになる。洗濯を実行する。

  昼はおにぎりである。うどんでは寂しすぎる。レタスが終わった。つまらないことで悩んでいる。食料品を買うべきか買わざるべきかである。明日一日なので我慢すればいいことである。食べるものは十分あるのだが、いつものがないと何か失念したような気分になるのである。夜はジャガイモ。

   「タモリと戦後ニッポン」<近藤正高 講談社集英社新書>を読む。 

 


 私の方が半年早いくらいの差しかない
タモリとは同世代である。同じ世代の一つの基準としてのタモリの有り様は輝き過ぎている。 

    63分散歩(Running S):オルセン・アベニュー  雨がまた降るかもしれないと思って4時過ぎに出た。シューズはランニングシューズにした。クリークの流れは川いっぱいに広がっており、ホッケー場の先の遊歩道は冠水していた。水路の水面が遊歩道の超えている。クリークと遊歩道の境においてあった長さ7mくらいの丸太が押し流されて遊歩道の反対側の駐車場まで運ばれていた。4時過ぎでこの状態だということは満水時はホッケー場横の遊歩道は数十mに渡って冠水したと思われる。4時過ぎに出かけたせいか、以前によく出会った人たちに久しぶりに会った。女性で一人はアジア系、一人は白人系の二人である。

  

 

 2020年01月19日(日)

  6時に起きた。うまく寝られた。

   「日本語の奇跡」<山口謡司 新潮社新書>を読む。

 


 
  昼はうどん。昆布汁がぎりぎり間に合った。夜は相変わらずジャガイモ。

 車を動かして(20キロ))バッテリーをチャージし、ガレージ前に入れ替える。

 ばあ様が帰ってきて文句いわれないように、動かしたものは元に戻しておかねばならないので記憶を探っている。

 詰め込んでみた。小さいスーツケースに入った。パジャマなどいろいろ持ち帰るものがあるので、帰国のときにどうかということだろう。

  63分散歩:サッカー場周辺

  体重48kg:風呂上りで計るが変わらず。

 「高度成長 日本を変えた6000日」<吉川洋 中公文庫>を読む。

  





 


2020年01月20日(月)

 入谷:OYO桜旅館 1泊目

 日本への出立の日である。

 12月25日に帰国して1カ月もたたないうちにまた日本行きでさる。

   4時過ぎに目が覚める。二度寝するとヤバそうなのでそのまま起きてしまう。冷蔵庫をチェックして残った牛乳は捨てる。チョコ、水などを手提げに入れる。

   6時半にゲートへ向かう。6時30分から50分の間にバスがくる予定である。6時40分ほどにバスがきた。前回失敗したコンファームもちゃんとしており、あわててタクシーを呼ぶこともなく、7時40分に無事空港につく。マシンで搭乗券を取得してカウンターにスーツケースを預ける。バナナを2本もってきており、ロビーと空港内で食して朝食とする。


 娘から9時にメールが入っていた。「空港についた??」。10時に「大丈夫搭乗が始まった。飛ぶらしい!」と返事を入れる。返信は絵文字で「ラジャー」。

  中央列3人席の通路側である。トイレは4回行く。到着一時間前のメモ「結構うまく8時間半を過ごせたようだ。客席はほぼ満席」。

   成田空港第3ターミナルの電光看板に「Japan endress Discovery」「お客様はお姫様」とあった。「ホー!」このお姫様モデルは誰だろう。長い間留守にしていると若い女優さんなどは知らない人ばかりになってしまう。


(注:後日知ったが、このモデルは男性であるとのこと。ズーッと女性だとばかり思っていた。)

  ばあ様が来ていた。風邪は治っているとのことであった。前回と同様、野菜満載チャンポンを食べる。野菜に飢えている。

  銀座にバスで出て、地下鉄で入谷へ行き、OYO桜旅館に入る。ホテルには娘が来ていた。ホテルのWifiを繋げてくれた。入谷駅でパスモを5000円分買う。


 駅で別れて、その帰りに道に迷ってしまった。夜も遅く人通りも少なくヤバイなと思った。ちょうど学生らしきのアベックがきたので桜旅館の入室キーを見せて桜旅館を訪ねたが分からない。うまいことに自転車を引いたお巡りさんが来たのでこれ幸いと旅館まで連れて行ってもらった。歩いたところに入谷の道具街があった。入谷の駅からスカイツリーの見える道を行けばいい、と教えられていたが、夜も遅くどうも1本間違えて歩いてしまったらしい。前々回は飛行機が、前回はバスが、今回は私という人間がミスをおこしてしまった、ということになる。

  この部屋には冷蔵庫もレンジもない。でもコヒーとお茶は部屋以外に廊下の片隅のロッカーに入っていて、飲み放題になっていた。

 


 2020年01月21日(火)

 入谷:OYO桜旅館 2泊目 

  6時頃起きる。夜はヒートテックの長袖にしたので寒さは感じなかった。空調完備なので下着はなんでもいいのかもしれない。

  8時頃入谷駅までいった。昨夜の間違いがなぜ起こったのかをチェックするためである。入谷駅からスカイツリーの方向へ行くべきなのにどうも信号を渡って右方向へいってしまったようだ。スカイツリーへいく道は言問通りで、間違って進んだのは清州通りのようである。おかしいなと思い清州通りを左に曲がった浅草通りあたりで道を聞くことになったらしい。そこでお巡りさんに会い、道具街を反対側から戻ってきたことになる。

 入谷駅のそばにあるのが鬼子母神である。「恐れ入り谷の鬼子母神」という言葉で有名なところである。どんなところか覗いてみた。何も変わったところのない普通のお寺であった。

  
  ちなみにこの「OYO」というのは初めて聞いた名前だが、世界10指に入るホテルチェーンのグループでインドに本社があり、ソフトバンクと提携しているということである。 

 南アジアでは最大のホテルグループというだけに、お客さんの多くはアジア系である。

  近くに台東区中央図書館があり池波正太郎展をやっていたので見学する。

 その後道具街をみて回る。




 昼はばあ様が来たので、近くの喫茶店の定食990円とする。

 午後は風が出てきて寒くなり、重武装になる。道具街へ行き、茶飲み415円とお線香の灰を買う。

  夜は娘がやってくる。夜は風が止まってまあまあである。入谷近くの飲み屋が満杯なので、駅横の「焼き鳥屋」へはいる。ビール箱の上に長い板を引いてそれに座布団を置いただけの席である。まあ、これだけで感激ものである。もちろんそんな具合だからカードは使えず現金のみで4千円ほどであった。焼き鳥はおいしい、とくに焼きおにぎりがおいしかった。入谷の駅前はほとんど何もないところである。居酒屋の楽しみはまったく期待できない。

 

 

 2020年01月22日(水)

 入谷:OYO桜旅館 3泊目 

  昨夜は12時頃寝る。6時過ぎに起きる。長袖は2枚しかないので洗濯をするか買い増すかになる。朝食はコンビニの明太子パンである。

  神田の病院へ行く日である。ばあ様からラインで入谷の駅にくるようにと連絡が入った。入谷駅で合流して地下鉄に乗るが、8時半なので丁度ラッシュである。でも隣の上野でごっそり降りた。たった一駅のラッシュ経験であった。

  病院ではカテーテルを抜き、小水とエコーの検査をする。一日か二日の間、テストでカテーテルを抜いてまた入れな直して欲しいと思っていたのだが、先生からの発言でこちらから言い出すことなく、オーストラリアの医師に任せるという判断のようで、抜いたままで40日分の薬を2種類出してくれた。それでこの病院は終了となった。お世話になった感謝すべき病院であった。この40日分の薬ってすごい量になる。オーストラリアでの治療ということに名目は切り替わったので、心の重荷がスッキリととれた。カテーテルを抜いたらやたらトイレに行きたくなるがチョロチョロしか出ない。また尿道が肥大前立腺で塞がっているのだろう。

 処方箋の薬は下記である。

『●タムスロシン塩酸塩OD錠0.2mg α1遮断薬(前立腺肥大治療薬)

前立腺や尿道のα1受容体を遮断し、前立腺の縮小、尿道の拡張などにより前立腺肥大による排尿障害を改善する薬。

●エビプロスタット配合錠DB

抗炎症作用、排尿を促進する作用、前立腺組織の肥大を改善する作用、尿路を消毒殺菌する作用があります。通常、前立腺肥大に伴う排尿困難、残尿および残尿感、頻尿の治療に使用される。』

 今日は神田の病院の最後の日になった、ということである。

   昼食はカテーテルがなくなったお祝いというわけではないが、神田「うな正」のうな丼で、通院後初めて一食分の食事を摂ることのできた記念のうなぎ屋に再び行く。

  小伝馬町でばあ様と別れる。

    ホテルに帰ってきたあと、また図書館へいって読書をする。

  大相撲をテレビで見て、夕食に出かける。その夕食だが入谷駅から道具街まで一軒のラーメン屋もない。道具街本通りへ入って少しいくと、そこはもう浅草でガラリと雰囲気がかわり、飲み屋、食事処、ラーメン屋などがひしめいている。国際通りを挟んで入谷と浅草だが、この差の対比はすごい。カテーテルを抜いたせいで体調が今一安定しない。何が起るかわからないので無理せずすぐに帰ってきてホテル近くの弁当屋でソース焼きそばと鶏のから揚げを買ってくる。2つで500円ほどである。

   

  

 2020年01月23日(木)

   浅草:アーバンステイズ 1泊目

   夜、何度もトイレに行ったがチョロチョロしか出ない。

  朝はファミマのパンである。

  ばあ様がやってきて10時にチェックアウトする。少々雨が降っている。その中を浅草へ歩く。雨に濡れて手提げの紙袋がやぶれそうである。浅草寺境内を抜けて隅田川を渡ってすぐに、次の宿のアーバンステイズがある。桜旅館とは隅田川を挟んで反対側になる。11時ころに荷物を預けて浅草に戻る。

 コヒー館に入る。ばあ様はホットケーキを注文する。



  浅草寺では財布のコインをすべて賽銭にするつもりで出したが、ばあ様は500円玉を見てもったいないと抜き取ってしまった。これでは「5**円(御縁)がなくなった」ということになる。不吉だな! 祈願は「ピンピンコロリ、早く死ねますように」であったのだが。これで死ねなくなる。生き続ける苦しみを背負っていくことになる。

 昼食は葵丸進である。



  

 

 3時過ぎにホテルに入る。入谷の桜旅館も浅草のアーバンステイズもOYOグループである。よってお客はアジア系が多い。スマホのWifiをやったが桜旅館で通じたものが、ここでは設定できない。ホテルの係員にやってもらったがだめだった。

 夕食は仲見世で買ってきたお煎餅とする。ここはパックのコヒーとお茶のサービスがない。いろいろ手の届かぬことの多いホテルである。コップは1コのみ。ちなみにヘアードライヤーのパワーが小さく苦労した。アーバンステイズは5泊の予定なので、不便なことには慣れないといけないようだ。 

  ヒートテックの長袖を洗いエアコンの下にぶら下げておいたら4時間ほどで乾いた。これは便利である。



 2020年01月24日(金)

   浅草:アーバンステイズ 2泊目

    今日はばあ様は休み。朝食はベーコンパン。

 天気はマアマアで雨は降っていない。ときどき青空が出る。スカイツリーにいく。すぐそばにある。デザインとしては近くで見るとつまらない。東京タワーはフレアースカートのような感じだが、ここはタイトスカートみたいな感じで地味である。遠くから見て楽しむスッキリデザインである。ホテルから歩いて10分少々ほどである。まずは一般展望台へいく。2100円である。なんでこんな半端な値段なのだろう。この上に頂上展望台がある。ここはたしか3050円である。この曇り空では一般展望台で十分である。

 次に水族館へいく。ここも2100円である。私は水族館が好きな方である。金魚展をやっていた。金魚って水族館でお金を払ってみるものだろうか。


 フードコートで一風堂のラーメンを食べる。1100円。私の好みの味ではない。

 2時半過ぎまでスカイツリーでヒマつぶし。3時頃に戻ってくる。

   おにぎりを買っておやつとする。

   大相撲をみて、マイバスケットでパンを買ってスープを作って夕食とする。夜は少し足らないのでコンビニでパンを買ってくる。蕎麦屋へいったが入る気分にはならなかったのである。

   今夜は暖かいので暖房を入れたり切ったりする。でもノドが少し痛い。

   





   

 2020年01月25日(土)

    浅草:アーバンステイズ 3泊目

 7時半に起きた。ノドがやはり少々痛い。風邪か、ばあ様の残り風邪にうつされたか。今日は休んでいようか。娘が来るというので体調がよくないといけない。トイレには数回行ったがちょろちょろである。

 昼は近くの「ゆで太郎」というそば屋のチェーン店へいく。680円。値段の割に美味しい。

 夕方、ばあ様と娘が来る。浅草寺、雷門などを見て回る。蕎麦屋に入ったがカードが効かない。どうして、ここは国際的な観光地の浅草であろうが。4100円。

 娘が古いスマホをもってきてくれた。街中でも受けるだけなら使える日本対応のものであるとのこと。 

 

 

  2020年01月26日(日)

  浅草:アーバンステイズ 4泊目

   7時半過ぎにおきる。相変わらずトイレ通いでよく眠れなかった。

   朝食にコヒーとパンを買ってくる。

    娘とばあ様とは12時半の予定でスカイツリーのフードコート入口で待ち合わせている。

     千葉工大のイベントが開かれており、お客さんがいないので係の人はこれ幸いと私たちをつかまえ丁寧な説明をしてくれた。娘はバーチャルリアリティーのゴーカーへ乗りヘルメットをかぶり、スゴイスゴイの連発であった。

   体がめちゃくちゃつらい。動くのが面倒である。ベンチに座り込みである。食欲もない。前にも経験している食欲停止の再発である。カテーテルを外したことによる腎臓疾患だろう。明日は板橋の病院へいくのでなんとかなるだろうと思っているが。

   昼は銀だこのタコ焼きをちょっと摘まんだだけ。夜は煎餅で終わりとする。

  

   ユニクロで260円だったかの野球帽を買う。でも深さがない。風がつよいととばされるだろう。

  

  

 2020年01月27日(月)

    浅草:アーバンステイズ 5泊目

   昼とかねて10時ころ朝食にする。

  2時過ぎにばあ様が来る。4時過ぎに板橋の病院に入る。待合ホールに看護師がきて「今日はどのようなことでしょうか」と問われる。「手術の申し込みです」と答え、それから段取りが進んでいく。

 3月6日入院、7日手術、10日退院の予定で申し込む。実際に手術を担当する先生が決まり、その先生の問診まで待たされる。その間に看護師さんからセルフィッシュ・カテーテル(導尿カテーテル)のやり方を習う。自分でカテーテルを挿入して、尿を膀胱から排出させるのである。これまでのように看護師さんが入れたカテーテルを「入れっぱなしにしない」で自分で挿入作業をおこなうのである。神田の病院とは相当に異なる治療法である。でもこれは結構きつい作業である。最初のカテーテルは挿入できず、先端形状が異なるモノに替えてやり直した。これで何とか挿入できた。溜まっていた尿が排出された。相当量の尿が出た。これ決して易い作業ではなく感覚的にはすべて挿入に成功するとは限らないのではないかと思う。1セット30本が支給された。31日に再度通院し、膀胱の能力をチェックする検査をすることになり、それまでは導尿カテーテルの使い方に慣れるようにとのことである。

 先生は三十代であろうか、でもジーンズでその上に白衣を着ているので二十代にも見えるほどである。新しい先生なのでこれまでの経過を全部説明しなおす。手術をしても時に膀胱の力そのものが弱っていると、期待する結果にはならないこともあります、と言われる。手術はやるが最終責任は患者負担だ、それでも手術しますかという確認である。これは止む得ないことである。すべてを病院の責任にする気などサラサラない。手術の日は早くて2月末ころになるという。2月の寒い時に日本に来るのは嫌なので、予定とおり3月初めにしてもらった。私が最後の患者になり6時過ぎに終わった。

 希望通りに3月7日手術で決まった。

★入院手術予定スケジュール★

  3月6日 入院

    7日 手術実施

    8日 術後安静日

    9日 術後安静日

    10日 退院

  帰りは水道橋近くの神保町で海鮮丼を食べる。学生街ということなのだろうか、安くておいしい。夜の当番のアルバイトらしい若いお兄ちゃんが作っている。この辺は高校時代の思い出のところだが、あれから半世紀以上が流れている。ばあ様とはここで別れる。

   寝る前にセルフィッシュ・カテーテルのテストをしてみる、何とかできた。実際やるのはおおごとで風呂場でないと難しい。一日数回実行して、尿を出すようにしないといけないとのこと。排尿日誌というものを渡され記入するようにとも指示されている。初めての作業は[23:00 130ml]の記帳となった。

   

 

 2020年01月28日(火)

  浅草橋:リブマックス 1泊目

  荷物がどんどん増えていく。朝は昨日のパンとバナナの残りである。9時過ぎにばあ様がくる。10時にチェックアウト。ここはカギがないのでそのまま出て終わりになる。

 吾妻橋から浅草橋へ出て今日のホテルである浅草橋駅前リブマックスに荷物を預ける。最初に神田の病院に通院した時に15泊と長逗留したウイークリーマンションの近くで、「帰ってきたな!」といった感慨が強くある。

 近くのなじみの図書館でチェックインまで時間をつぶす。アンドロイドの本があったので読んでみる。でもチンプンカンプンである。


  昼は通いなれた王将へいく。私は揚げ焼きそば、ばあ様はあんかけラーメン。食後また図書館へいく。

  3時過ぎにチェックインする。ここもWifはつながらない。なを、このホテルの後は四ツ谷4泊の予定であった。でもそれを1泊に縮めて別のホテルを3泊とることにする。理由は自己カテーテルは慣れないせいもあって風呂場でないとうまくいかないからである。四ツ谷の風呂でカテーテルを使うのは心理的に非常な抵抗感がある。ばあ様が文句をいうかとおもったらすんなり納得してくれた。

   尿は黄色く濁っている。でもカテーテルを使うことで食欲は戻ってきている。5回やって[970ml]であった。


 

 2020年01月29日(水)

  浅草橋:リブマックス 2泊目

   5時過ぎに起きる。6時ころカテーテルをやってうまくできたので、それで安心したせいか起きたのは9時過ぎであった。隣のローソンでパンと牛乳を買って朝食とする。牛乳はこちらに来て飲んでいなかった。

  今週は寒く、雨の日が続くというのが天気予報であったのだが、なんと今日は快晴、気温14度という。まるで外れる天気予報である。この暖かさなら墨田川のクルーズもそこそこ楽しめそうである。今日クルーズをして楽しんだら「こんな体の状態なのに何ですか!」と、ばあ様に叱られそうなのでやめる。今日の最高気温は18度という。春の陽気である。  

   娘からOYOの蔵前ホテルを3泊とったという連絡が入る。前回から今回にかけてリブマックスとOYOグループばかりである。安くて便利ということであろう。観光に来ているわけではないので部屋の仕様などどうでもよく泊まれれば十分ということである。隣の駅なので探しにいったが見つからなかった。

   パスモの残りが2桁になったので2千円をチャージする。

 また図書館へ行く。いくところがないと足はどうしても図書館に向いてしまう。

  昼は駅横の小さなL字型のそば屋(カウンター)に入る。480円。

 日本にきてから頭の芯が痛む。たいした痛みではないのでほっておいている。やはり軽い風邪だろう。

   カテーテルを風呂ではなくトイレでやってみた。うまくいかないのは消毒作業である。失敗したら風呂ならシャワーでザーと洗い流せるがトイレではそうはいかない。カテーテルは使い捨てであり、再利用は禁止されている。

  5回やり[1040ml]であった。 

    

  

 2020年01月30日(木)

  蔵前:OYO ホテル蔵前 1泊目

   夜尿意をもよおしたがほとんど出ない。心配になった。カテーテルをいれると500ccカップのほぼ満杯の450ccが出た。ということは自力で排尿することが困難になってきているだということだろう。尿は濁っている。朝のときはチューブが入らず少し無理して入れたために血が出てきた。尿道を痛めたようだ。

   8時過ぎにドンドンとドアを叩かれた。ばあ様である。ラッシュをさけて早めに来たのだという。そのとき私は寝ていた。10時にチェックアウトした。ホテル蔵前まで歩いていく。10分ほどである。今回はすぐに見つかった。スーツケースをフロントに預けて浅草へ出る。雷門前の人出は半減して寂しいかぎりである。コロナウイルスの関係で中国の観光客が激減しているのだろう。

   東武浅草駅横から隅田川クルーズに乗る。といっても日の出桟橋までいって帰ってくるだけである。途中は浜離宮で止まった。往復で1,550円であり、カードは使えない。これも不思議である。2人で3,100円である。これに最後に乗ったのは30年以上昔のことである。このときは浜松町から浅草までの片道であった。クルーズといってもこれは定期船であり、クルーズ用にしつらえているだけである。隅田川の護岸は整備されて、風景も良くクルーズを快適に楽しめるようになっている。今日は昨日と同じく暖かい。クルーズには至極最適である。もしこれが冬の気温だったらどうだろうか、ひえひえになってしまっただろう。おもしろいお勧めの観光ルートである。


 
 昼はタイガーラーメンというけったいなラーメン屋に入る。味は私には合わない。中国人観光客向けの店の様である。カードがきく。

   ホテルに入ってWifiを繋げる。私のスマホがつながった。これはすごい、ダメだと思っていただけに歓喜である。早速預金の内容を調べ振替を実行する。普通預金よりカード口座へ移した。

   夜はおにぎりにする。

   私の入院にはばあ様は来ないと言っていた。「手術は一人で受けられるでしょ」ということであり、ばあ様はオーストラリアで英会話教室に通い、私としても日本の病院に一人で入院するのに何ら問題はないだろうと思っていた。ところがこれがゴロンとひっくり返って「来る」という。何故!? おそらく周囲の人に「亭主が入院するのに付き添わないとは!」とかなんとか言われたのだろう。いらぬお世話、大きな迷惑だ。飛行機代は私が出すと言うと「自分のお金で来る」という。心に痛みが残っているのだろうか。

 3月4日のチケットはいまなら2万5千円とのこと。明日の病院の結果次第ですぐに予約に入ることになるだろう。 

 カテーテルは4回で[1050ml]であった。

 

  2020年01月31日(金)

   蔵前:OYO ホテル蔵前 2泊目

  夜尿意をもよおして大変だった。しかたがないので2時半にカテーテルをいれた。カテーテルには夜はない。こんなことがあると飛行機に乗るのが心配になってくる。

 ばあ様がくる。浅草橋のドトールでトーストで朝食とする。あの東京メロンパンでクロワッサンを買う。秋葉原のヨドバシカメラに入る。エプソンのインクを探したが私のもっているプリンターは海外版とのことでインクはおいていないとのこと。明日もう一度きて小物を購入することとする。

 2時過ぎに板橋の病院に入る。尿、血液、肺活量、X線、血圧などの手術に必要な検査をする。

 膀胱検査をする。内視鏡を入れて膀胱内の状態を見るのである。結果として膀胱内の筋肉が劣化していて手術後前立腺がよくなっても膀胱の筋肉が劣化しているので良好な状態に戻るか保証できないという。映像を見せてもらっているが、当然状態がいいとか悪とかはサッパリわからない。どういう状態であれ前立腺の肥大をどうにかしないといけないので手術同意書にサインをする。尿が濁っているので抗生物質を5日分出すとのこと。この濁りは内視鏡にも映っており私も確認できた。この薬は下痢になるので注意してください、でも止めずに全部飲み切るようにしてくださいとの注意を受けた。そのほか、手術に伴う麻酔の注意、薬剤の注意をうけ、入院手続きの説明をうける。術後はお酒は飲んでもいいでしょうか、と聞いたら飲み過ぎないならいいですよ、との答えである。

 また1カ月繰り返し使用できるカテーテルとその消毒液、ならびに使い捨てカテーテルを1カ月分受け取る。これすごい量である。使い捨てカテーテルはネットでも購入できるとのこと。使い捨てとは知らずにこれ一本一日分として使っていた。なを、入院は4人部屋である。ちなみに個室だと一日¥15,00、4人部屋だと¥1,320である。今日の費用は¥7,700.カードで払う。3月入院だと75歳になっているので、高齢者負担が3割から一割になりその分得をしたことになる。

 春日駅で下りたがなにもない。ラーメン屋に入ってビールを飲む。ビールがおいしい。

 入院が確定したので3月4日の航空券チケットの手配を頼む。

  ホテルでのカテーテルは3回で[920ml]であった。なを、ホテル以外ではカテーテルは使えない。 


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    2020年2月

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 2020年02月01日(土)

   蔵前:OYO ホテル蔵前 3泊目

    昨日食べ忘れたクロワッサを食べる。

   ばあ様が来る。コヒーが飲みたかったのでドトールでモーニングを食べる。

   マツモトキヨシで処方箋の抗生物質を買う。処方箋にあるもので今日から5日間のむことになる。

   浅草橋ガード下の小物屋で帽子を買う。探していたアーミータイプのものである。¥950-

   秋葉原のヨドバシカメラで電子辞書のコード、iPhoneのコードを買う。

  両国へ出て駅前国技館横の「江戸東京博物館」に入る。ここは面白い。それに一人300円の安さである。外国人観光客にはそれなりの言葉の話せるガイドがつく。金がかかっている。

   両国駅前の「あさり深蒸し弁当」を食べる。ビールを加えて三千円少々。ところがカードが効かない。何だこの店は。両国駅前のイベントブースに入っているのにも関わらずカードがきかないとは。お客などいらないということか。この店の食事の味は私には合わない。腎臓が悪いわけでもないと思うが。手持ちの現金は残り少なくなる。

   今日のカテーテルは4回であった。 

 

     

 2020年02月02日(日)

  四ツ谷:一泊

    10時頃、娘がやってきた。OYOホテル蔵前をチェックアウト。田原町から地下鉄で四ツ谷へ行く。今日は四ツ谷泊りである。

   新宿でヨシコさんを含めて4人で昼食。場所は前回の時と同じところ。味はサッパリわからない。ビールを飲む。

 
  新宿の人出もサッパリである。あの混雑の極地である新宿がである。コロナウイルスの影響は大きい。

  カテーテルの物量が半端ではなく多い。とてもスーツケースに入れられるようなものではない。運びやすくするために束ねてガムテープでグルグル止めして、小荷物で一つ追加することにした。

  夜はオデンである。この味も分からない。前回のオデンはおいしかったが、今日は味がない。やはり腎臓がおかしいのか。

   娘に手術のスケージュールを説明する。これをベースに飛行機と宿泊の手配を頼む。

  ★3月04日 GC---成田 四ツ谷泊

   3月05日 四ツ谷泊

  3月06日 入院

  3月07日 手術  

  3月08日 入院

  3月09日 入院

  3月10日 退院 3/10---3/30:ウイークリーマンション

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 3月30日 検査

 3月31日 ウイークリーマンション チェックアウト 四ツ谷泊

 4月01日 四ツ谷泊

 4月02日 成田---GC

 4月03日 GC帰国

    カテーテルは3回であった。 

 

   

 2020年02月03日(月)

 成田---GC 機内泊

  四ツ谷ではじめてのトイレでのカテーテルをする。なんとかできた。2回目もできた。これなら飛行機のトイレでカテーテルを使えそうである。だが、その次は失敗して血が出る。そうなんでもうまくいくものではない。

   手術のために日本へ来る便の支払いはばあ様がやったので、銀行でお金をおろして渡す。日本の銀行の残金は5万円ほどである。2月半ばに年金が7万円ほどはいるので、12万円が保有額となるだろう。この口座は年金用に使っているものである。

   昼食は残りのオデン。やはり味がわからない。

  3時過ぎに出てヨシコさんとともに銀座から1000円バスに乗って第二ターミナルへ。ここで食事をする。なんとそのとき私はカツカレーを注文している。カレーが好みでないからカレーライスは食べないのだが、どうも味覚が狂っているようである。刺激の強いものを求めているようだ。生ビールを飲む。

  娘が急遽見送りに来た。次回の日本滞在の予定表を作ってきていた。

   成田===>GC 20:55  jetstar:JETTQXV 

  飛行場のトイレでカテーテルをする。できた!!

 

 

 2020年02月04日(火)

 手術の手続きをして2週間で無事オーストラリアに帰ってきた。

 機内トイレの狭苦しいところでもカテーテルを使うのに成功した。

 ゴールドコーストは時々小雨である。前回同様にスカイバスでビーチフロントへ行き、ホテルでタクシーを頼み家に帰ってくる。ばあ様は3カ月半ぶりの帰宅となる。

  ばあ様がインターネットを立ち上げたら繋がった。私もやってみる。つながった。何故だ!。半月前、日本へ行くときはまったく使えなかったのに、なぜ回復した。理由不明。

   インターネットがつながったこと、手術の日が決まったことなどを、息子に報告しておいた。

   ばあ様が新しいパスポートになり、パスポート番号が変わったので、永住権ビザの一部内容変更を届けることになった。いろいろやってみたが変更を実行するサイトに入れないとのことで、息子に私のほうからメールを入れた。私の時は息子にまかせっきりであった。

    オーストラリアフェアーへいく。ケバブを食べる。コロナウイルスの影響で中国人観光客が消えてフードコートは閑散としていた。フジマートへ回り、日本食品を買い込む。

  夕方、「繰り返し使用用カテーテル」を使ってみる。これ細いのだが、まるで入らない。尿路入口でひっかかってしまう。無理に長時間にわたって挿入作業をやったため尿路を傷つけ血が流れ出てきた。これはやばい、気力が萎える。この繰り返し用タイプは使えない、と判断する。今後は使い捨てタイプ一本でいくことにする。夜9時ころ使い捨てで何とかカテーテルできた。使い捨てはチューブの外面がコーテイングされ、つるつるしていて挿入しやすくなっている。24時ころトイレにいったらまた血が出た。どうにもやばいことになってきた。

   繰り返し用カテーテルが使えないということは、使い捨てカテーテルのチューブと、繰り返し用カテーテルの消毒液を使って、使い捨てカテーテルを使い廻しして複数回使うことになる。丸一日カテーテルなしで過ごして傷の修復をしたいと思うのだが、そんなことが可能か? 

   カテーテルをして膀胱の尿を出さないと腎臓がやられ、確実に食欲が失せてくる。水曜日に神田の病院でカテーテルを外したとき、日曜日には食事が止まっていた。3日が限界ということか。このときは月曜日に板橋の病院でセルフィッシュ・カテーテルをやったので、その時点ですぐに食欲は回復した。つまり、二日なら膀胱から尿を抜かなくてもいけるということである。この線で何とかしたいというのが願望だが。 あと1カ月の間、カテーテルとの戦いが待っているということでもある。  

   尿が汚れているので抗生物質を5日分もらっている。便秘状態であったが3日目になる今朝、と言うより機内でオシッコのつもりでトイレに行ったら同時に排便も伴ってしまった。以降、便が出始め夜には下痢になる。薬をもらったとき下痢になりますから、と注意を受けていたので抗生物質が効き始めたと思った。排尿するたびにチョビットの下痢便が出る。夕食後に飲むので今日で4日目の薬になる。ということは明日夕食後が最後の一錠になる。

   インターネットが自動復旧したのは朗報だが、カテーテルの失敗はイヤな予感を伴ってきている。帰国一日目はいいこと悪いこと悲喜こもごもである。


 

 2020年02月05日(水)

  朝方体重を計る。45kgである。

 ということは日本へいったことで3キロ落ちたということになる。そういえば日本ではそんなに食べてはいない。セルフ・カテーテルを使うことで負荷がかっているのか。残置カテーテルだと食欲が上がるのかもしれない。これからは45kgが基準値になるようである。

   今日は一日カテーテルを使かわないようにしたい。できる限りトイレに行くようにしよう。

   スケジュールが決まった。書類をプリントアウトする。

 ★3月04日 GC---成田 四ツ谷1泊目

   3月05日 四ツ谷2泊目

  3月06日 入院

  3月10日 退院 ::3/10---3/28:ウイークリーセンター秋葉原(19泊20日)

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  3月29日 ウイークリーセンター秋葉原チェックアウト::四ツ谷1泊目 

  3月30日 4週目検査 ::四ツ谷2泊目 

 3月31日 ::四ツ谷3泊目

 4月01日 ::四ツ谷4泊目

 4月02日 成田---GC

 4月03日 GC帰国

 ウイークリーマンションに滞在中に温泉に行きたい。草津2泊3日がいいと思っているが遠いし高い。鬼怒川、水上、日光、伊香保あたりだろうか。鬼怒川・水上あたりは最近おかしなことになってしまっていると聞く。  

  パソコン操作をしているうちに気が付くと10時をすぎていた。銀行には急用で行かれない旨連絡をいれて、Gメールで解約の旨を通知してサインを添付する。返事があり店頭へいかないといけないらしい。1時半の再予約で出かけていき、オンラインバンキングにおける解約の操作方法を習って解約を終了する。でもオペレーションの手順は覚えきれない。日本語版を作成中とのこと。これで入院からみの出費は大丈夫である。

  オーストラリアフェアーによりダイソーでカテーテル挿入用にビニールの使捨て手袋を買う。40枚入りで$2.80。

   プリンターインクをオフィスワークで買う。なんと$76.88-である。

  ヤリスからフォードにコードを繋げて充電を行う。ガソリンは半分残っている。空気を入れて周辺を走って一般充電を実行する。

  帰ってくるときに懸念していたもろもろの問題はこれでほぼクリアーされた。一つにインターネット・モデムの復旧、二つに定期解約、三つにFORDの問題であった。

   最後の抗生物質を夜の7時過ぎに飲む。10時半に見事に水下痢になった。明け方までゲリが続いた。

  カテーテルは使っていない。24時間はたった。

 

 

 2020年02月06日(木)

  朝方カテーテルを使う。33時間ぶりに膀胱を空っぽにしたことになる。 血尿はでなかった。傷つけていたので心配であったが、挿入はあっさりといった。2回目は膀胱入口部分がひっかかったが何とか押し込んだ。今日はその後2回やった。

  使い捨てカテーテルは再使用不可になっているが、繰り返し可能のカテーテルが尿道を傷つけてしまう状況ではそうもいってられない。4時間半から5時間おき一日4回、朝、昼、夕、夜の実行が目標になる。案内書には一日最低3回と書いてあり、先生には5回やるようにと言われている。消毒液をもらっているので、同じカテーテルを消毒しながら使い、その後は捨てるようにする。つまり一日一本のカテーテルを繰り返し消毒しながら使おうということである。

   サイクロンが来ているとかで今週中は雨模様とのこと。昨夜寝られなかったので午前中8時ころから11時ころまで昼寝をする。さらに午後は3時から4時半ころまで昼寝となる。ラナウエイベイへいく。

  いろいろと日本での書類の整理を始める。  

  夜はゲリ。まだ薬が効いているようだ。朝方まで続く。

 

 

 2020年02月07日(金)

  カテーテルをいれてちょっといくと、すぐにぶつかってしまう。「尿路入口」にあたるところだろうと思う。ここは一番面倒くさくて痛みを感じる。突破すると次に「膀胱入口」でひっかかる。ここもなかなか手ごわい。入れば尿が溢れ出てくる。この2段の防壁をいかにうまく痛みを伴わずに突破するかだが、決して甘くはない。

  隣のばあさんにキットカットを手渡す。

  今日は午後から陽射しがさしてきた。ばあ様は美容院へ。私はフォードの充電で近辺を回る。今日も昼寝が多い。

   夜になってゲリが軟便に変わった。抗生物質の効果が切れてきたか。

 

 

 2020年02月08日(土)

   カテーテル失敗する。膀胱の手前で止まってしまい入らない。無理ににやったら血が出てきた。膀胱を空にできずに傷をつけただけになってしまった。向こう12時間はカテーテルはやめて傷の回復を待つことになる。なかなか思い通りにスンナリとはいかないものだ。

   なんとか成功した。19時間ほどぶりに膀胱は空になった。もやもやしていた小水状態がいくらかスッキリした。

   今日は一日雨模様。実業団駅伝のビデオを見ている。

   ラナウエイベイへいく。

  

   

 2020年02月09日(日)

   夜中やたらとトイレに行きたくなる。これはと思ってカテーテルを入れたら相当の尿が出た。こういうことは過去に経験している。このときはその後朝までぐっすり眠れた。でも今回はそうではなかった。 トイレ行きが激しい。でもチョロチョロしかでない。やはりカテーテルに頼ることになった。カテーテルを入れ第一関門の尿路入口を突破すると、尿がチューブの周りからしたたり落ちてきた。ここにも溜まっていたのである。膀胱入口を突破するとチューブ内を流れて大量の尿が出てきた。水分はさほど摂っていないのにこの量は解せないほどである。だんだんカテーテルなしでは尿の排出ができないようになってきているのだとすると、イヤな気分である。自力でそれなりのオシッコができるようにしたいのだが。 

    昨夜はカテーテル問題で半睡状態である。

   今週いっぱいサイクロンの影響があるということである。夜中はすごい降りであったが今日は曇り空である。降ったりやんだりのようである。

       検索すると今使っているカテーテルの動画が出てきた。正式名称は「スピーデイカテ」である。私は「セルフカテ」と名付けて呼んでいるが。日に5回が推奨で4回は是非ともということのようである。今使っているのは「チーマン40」というもので楽天で30本入り6,875円とある。

    https://www.coloplast.co.jp/new-bladder--bowel/how-to-guides/male-catheter-guides/#section=%e3%82%b9%e3%83%94%e3%83%bc%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%ab%e3%83%86%e3%83%8d%e3%83%a9%e3%83%88%e3%83%b3%e4%bd%bf%e7%94%a8%e6%96%b9%e6%b3%95%ef%bc%88%e7%94%b7%e6%80%a7%e7%94%a8%ef%bc%89-_289727

    https://www.apis.co.jp/lc/pdf/coloplast/continence.pdf

  https://www.med.nagoya-u.ac.jp/haisetsu/manual/hainyo/html/37seiketu.html   

❖適応

 尿閉の場合、あるいは100ml以上の残尿が存在し、頻尿、尿失禁、尿路合併症の発生に関与する場合に間欠導尿の適応となる

❖器具

●カテーテルは1回ずつの使い捨て用カテーテル(例:サフィードネラトンカテーテル8F~10F程度)と反復使用するカテーテル(例:セルフカテセット女性用・男性用)がある。

●使い捨てカテーテルの場合は、1回使用ごとに捨てればよいが、反復使用カテーテルは、1週間に1度煮沸消毒し、1ヶ月ごとに新しいセットに交換する。

●反復使用カテーテルは導尿用カテーテルと格納容器からなり、導尿しない時は消毒液を満たした格納容器内にカテーテルを入れておく。導尿時にカテーテルを取りだし、使用した後、水洗後再び容器に収納する(下図)。

❖消毒液・潤滑剤

●反復使用カテーテルの収納容器内にいれる消毒液としては、ヒビテングルコネート10倍希釈液(1%)、ハイアミングリセリン液(0.025%)などを用いる。容器内消毒液は、毎日~3日ごとに交換する。潤滑剤としては、キシロカインゼリーあるいは滅菌オリーブ油を用いる。

❖具体的な方法

● 導尿は介護者・看護者が行うことは困難ではなく、1~2回施行すれば容易にできるようになる。また、本人に意欲があり、手指の運動に問題のない場合は、自分で導尿操作ができるように指導する(清潔間欠自己導尿)。

●手技

(イ)両手を石鹸を使い、水道水で洗う。

(ロ)外尿道口とその周囲を消毒綿(クリーンコットン、ナップクリーン、モイスペットなど薬局で市販のものでよい)で清拭する。

(ハ)カテーテルを取り出し、手指でカテーテルを持ち、外尿道口より膀胱へ、カテーテルから尿が出始めるまで挿入する。

(ニ)下腹を軽く圧迫して、カテーテルから膀胱内の尿を排出する。この際、カテーテルを深く入れたり、浅くしたりしながら、膀胱内の尿を残らず排出する。

●自己導尿の場合、女性では外尿道口の位置が自分ではわかりにくく、慣れるまで鏡を用いて、外尿道口を見ながら行うように指導する。慣れれば、見なくてもできるようになる。

●清潔操作に注意を払うことは重要であるが、あくまで滅菌操作ではなく、清潔操作の範囲なので、過度に清潔に関して神経質にならないように配慮する。

●自排尿可能であるが、残尿が多い例については原則的には、まず排尿し、残尿をカテーテルで除去するという順序をとる。

❖導尿回数

●1日の尿量、膀胱の機能的容量、残尿の程度による

●膀胱の過伸展をさけるため(膀胱の過伸展は尿路感染の発生や膀胱機能障害の悪化につながる)、膀胱内に400ml以上ためないこと、頻尿や尿失禁の症状が改善することを目的とするが、症例ごとに決める必要があり、いちがいにはいえない。

●一般に一日3回(午前、午後、寝前)より始め、症状の推移、尿量をみながら回数を増減する。

❖副作用、感染予防

●主な副作用は、カテーテル挿入時の尿道痛、不快感、尿路性器感染であるが、いずれも導尿の導入初期に起こりやすい。

不安感、不慣れなための不潔操作により起こるが通常操作になれるに従い消失する。十分な説明による不安感、抵抗感の除去、および導入後1週間の抗生剤投与により予防できる。

清潔導尿操作を習得した後は、予防的抗生剤投与は不要である。』

   今日は6回カテーテルを実施した。

   実業団駅伝のビデオを見終わった。

   

     

  2020年02月10日(月)

 カテーテルを頻繁に使うときがある。尿が正常に出ない時である。小水がちょろちょろで終わってしまうのでそうせざるをえないのである。やむ得ないということなのだろうが、今日は7回も入れた。これは新記録である。カテーテルに慣れてきて、尿がでにくくなるとすぐにカテーテルに頼ってしまうという癖がついてきているのだろう。時に膀胱へ入るところでひっかかり、キズをつけるのが怖くやめようかと思ったりもする。でもゆくりゆっくり回しながら繰り返し繰り返しやるとスーっと入る時がある。そんなことが夜つづくと、眠れないせいか昼間疲れが出て、昼寝のパレードになる。

 オーストラリアフェアーのダイソーへ行へいき、クリアーファイル、メモ帳、薄手のビニール手袋などを買う。

 ひさしぶりにスシトレインへいく。



 2020年02月11日(火)

 カテーテルの先端に血がついている。無理にいれようとして傷つけたのだろう。いよいよカテーテル頼みになってきている。次に入れたが途中でまた止まってしまった。やめると2回連続になる。なんとかゆっくりゆっくり時間をかけて通した。血を見ることはなかった。12時間ぶりに膀胱を空にしたことになる。その次は失敗に終わった。膀胱入口で入らなくなった。

 フジマート、オーストラリアフェアーへ行く。

     年金機構に出す書類をまとめた。明日、投函予定。

    娘が千葉の温泉を推奨してきた。芝桜がシーズンにあたるらしい。千葉の温泉というのは知らなかったが小湊温泉とか鴨川温泉とかあるらしい。芝桜の関係で3月31日と4月1日を空けることになった。話によると木更津温泉とのことである。

   

   

 2020年02月12日(水)

    真夜中に失敗してから2時間後に再トライする。やはり膀胱入口でストップしてしまう。やめようかと思ったが何とか時間をかけて押し込んだ。だがいつもならここまで入るという位置までチューブが入らない。それでも尿は出た。チューブの先には血があってそれに続いて尿である。どうなっているのか、こんなことがこれからも続くとなるとひどく危険そうに思えてならない。本当に膀胱に届いたのであろうか?疑問がわく。カテーテルを入れすぎることに疑問もわく。

   なかなか入らないのでやめようかと思いながらも時間をかけてゆっくりと押し込む。なんとかいったのだが。今回は実に長時間にわたって大量の尿がでた。膀胱の尿は一気に出てきて終わるのだが今日は長い時間をかけてあちこちから集めて出しているような感じである。やはり夜中の失敗が後をひいているのかもしれない。でもとりあえず膀胱は空になったとみていい。その次はスーっと入っホッとする。さらにその次は失敗で先端に血がついている。分かっていながらどうしても無理してしまう。

   雨降りがひどく前の緑地は川になってしまった。

    木更津温泉は1泊2日のつもりであったが、娘は2泊3日を予定しているとばあ様が言ってきた。1泊2日ではただ疲れにいくだけだ、という。娘に2泊3日なら30日の検診前でウイークリーマンションを26日チェックアウトで、27,28,29日の2泊3日にするようにとLINEした。でもそれだと四ツ谷への負担が大きいので、ウイークリーマンションは借りっぱなしで例えば26、27、28日の二泊三日で29日チェックアウトを提示した。

   ハーバータウンは閑散としていた。切手は$1.10に値上がっていた。



 2020年02月13日(木)

 今日は5回やって続けて2回失敗した。こんなもんだろう。        

    娘からLineが入る。またまためんどくさいスケジュールになりそうである。 

  『 3:25 浅草橋ウイークリーマンション チェックアウト、そのまま木更津温泉へ

     3:25---3:27 木更津温泉 2泊予定

      3:25 一泊目

      3:26 二泊目

      3:27 木更津温泉 checkout

     3:27---3:31 お茶の水アパホテル 4泊予定

      3:27 チェックイン 一泊目 4泊

      3:28 二泊目

      3:29 三泊目

      3:30 四泊目

      3/30 板橋病院

      3:31 アパホテル チェックアウト、四ツ谷へ向かう

     3:31---4:03 四ツ谷 3泊

     4:03 成田===>GC 

    ちなみにいうと千葉のホテルはコロナウイルスで中国からの引き上げ者を隔離収容したところであり、予約ができない状態になっているということである。 

      相変わらずの雨でクーメラ川がタンボリン山からの水で氾濫しているという。オクスンフォードは冠水。ソルトウオータークリークも氾濫でリバーダウンも冠水であろうか。

     

     

 2020年02月14日(金)

     ダメかなと思ってやめようかなとしたが、なんとかかんとか入れ込んだ。こういうのは心理的にきつい。排尿量は20時間弱ぶりになるので相当量が時間をかけて出た。とりあえず膀胱は空っぽになった。こんなことが今後もつづくなら気分が暗くなる。次も長い時間をかけてなんとか押し込んだのだが出たのはちょろちょろで悪いことに先端は血である。無理のし過ぎか。こんな日が続くとなるときついな。ところがその次はなんと気の抜けるほどにアッサリ入った、どうなっている。膀胱入口の状態で決まるとおもうが、どういう条件だとスンナリいくのだろう。 入れる前はまずそれなりに苦しむだろうと覚悟しているが、予期せぬほどに軽く入ったりすると、とにかく気分がよくホッツとする。そしてラストは膀胱入口でストップする、長い時間をかけてなんとか押し込んだが結果として血尿となる。無理して時間をかければ血尿はさけられないようだ。

  今日は晴れている。大洗濯の日になる。

 家賃をインターネットで払おうとしたらダメである。インターネットの送金は上限が$1500-までと気がついた。4週間分の家賃はそれを上回る。小切手で銀行に行って支払うことになる。

 ハーバータウンへいく。まったくといっていいほど中国人観光客がいない。驚くべきいたことに日本語が漏れ聞こえてくるのだ。

 娘が前立腺手術後の温泉は危険だといってきたという。

 体重は現在46kgである。



 2020年02月15日(土)

     7:00 カテーテル そこそこスンナリいく。

    11:30 カテーテル 2度目のそこそこスンナリである。

    17:00 カテーテル 3度目のそこそこスンナリである。 今日は至極順調である。      

 22:00 カテーテル 4度目のそこそこスンナリである。 要領が分かってきたということである。

       今日は蒸し暑い。午後からちょっとラナウエイベイへ涼みへいく。

     

     

 2020年02月16日(日)

  8:00 カテーテル

  12:45 カテーテル

  17:30 カテーテル 膀胱入口でstop、無理をしたので血尿になる。いつもスンナリとはいかないものだ。

  22:30 カテーテル 少々無理をする

  今日は晴天。ヘレンズベイルへ行く。

  


 

 2020年02月17日(月)

  2:30 カテーテル

  8:00 カテーテル  膀胱入口でstop。無理をする。

 11:45 カテーテル  

 16:30 カテーテル    

 21:30 カテーテル  

  ラナウエイベイの銀行で家賃を小切手で支払う。スシトレイン(トレージャーアイランド)へいく。

 

 

 2020年02月18日(火)

   2:30 カテーテル

   7:45 カテーテル  どうも膀胱入口でstopし、無理をする度合いが高い。  

  13:45 カテーテル   

  18:00 カテーテル 

  23:00 カテーテル

  フジマート、オーストラリアフェアーへ行く。床屋へ寄る。  

   娘が大磯プリンスホテルを予約して承認のSNSコードを送るよう言ってきた。スマホが登録されているがGmailとのことでGmailに入って送られてきた数字をLineで娘に送った。予約が成立したとのことである。これで大磯プリンスが確定した。

   

   

 2020年02月19日(水)

  3:30 カテーテル

  8:15 カテーテル

 12:45 カテーテル 

 18:00 カテーテル

 22:15 カテーテル

 朝からインターネットが動かない。夕方回復する。右下「∧」を押し、次に「電波紋」を押し、「Telstra1273」でテストする。

 ばあ様の免許証が4月6日で切れるので、トランスポートへ更新にいった。

 ラナウエイベイへ行く。



 2020年02月20日(木)

  2:45 カテーテル

  8:30 カテーテル   

 13:15 カテーテル 

 18:00 カテーテル失敗 ひどい血尿になった、12時間カテーテル停止とする。

 今日は何処にもいかずにいた。



 2020年02月21日(金)

  7:30 カテーテル   

 13:00 カテーテル  

 18:00 カテーテル

 22:30 カテーテル

  ラナウエイウベイへいく。

  

 

 2020年02月22日(土)

   8:30 カテーテル   

  13:00 カテーテル  

  18:00 カテーテル

  22:30 カテーテル

   昼にOK君から電話がある。手術で日本へいくので帰ってきたら会おうといことになった。

(注:4月の初めの帰国予定でチケットなどの手配は終わっていたが、コロナ隔離で戻ってきたのは10月下旬、よって彼と会えたのは11月に入ってからである。)

 ヘレンズベイルへいく。

 

 

 2020年02月23日(日)

  3:00 カテーテル

 8:15 カテーテル    

 13:15 カテーテル 

 18:00 カテーテル

 22:45 カテーテル 

  ラナウエイベイへ行く。今日は一気に涼しくなった。

 

 2020年02月24日(月)

 2:00 カテーテル 気温が下がったせいか、夜のお手洗い行きがはげしかった。

 7:15 カテーテル 

 12:45 カテーテル 

 17:30 カテーテル 膀胱入口でstop、無理に入れて血尿となり、バスタオルを汚す。

 22:45 カテーテル 

 スシトレイン(ラブラドール)へ行く。


 

 2020年02月25日(火)

 3:30 カテーテル

 8:45 カテーテル

 13:30 カテーテル 

 18:00 カテーテル 

 22:45 カテーテル

 フジマート、オーストラリアフェアーへ行く。



 2020年02月26日(水)

  1:00 カテーテル

  7:15 カテーテル 昨夜は頻繁にお手洗いに行く

  13:00 カテーテル 

  17:45 カテーテル

 23:00 カテーテル

  「75歳になった」である。ここまで生き延びられるとはおもわなかった。誕生祝いということで「希実」へ行ったがクローズしており「大樹」になる。確か昨年は希実であったと思うが。





 2020年02月27日(木)

 4:00 カテーテル

 8:30 カテーテル

 13:15 カテーテル 

 17:30 カテーテル

 23:00 カテーテル

 ラナウエイベイへ行き、スマホ「$40」をリチャージをする。

  

 

 2020年02月28日(金)

  3:15 カテーテル

  7:30 カテーテル

  12:45 カテーテル 

  18:00 カテーテル 

 23:45 カテーテル

  体重:「朝計測 45kg」、「夜計測 46kg」。オーストラリアフェアーへ行く。

 

 2020年02月29日(土)

  5:00 カテーテル

  9:00 カテーテル

  13:00 カテーテル

  18:00 カテーテル

  20:30 カテーテル

   入院書類に記入をする。荷物のスーツケースへの詰め込みを始める。やはり大きいスーツケースでないと間に合わない。

 ハーバータウンへいく。土曜日なのにガラ空きである。中国客がいない、中国語が聞こえない。そして、あの腹のポッコリ出たオーストラリアンの姿がやたらと目につく。  


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    2020年3

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 2020年03月01日(日)

 0:45 カテーテル

 5:45 カテーテル

 11:30 カテーテル

  16:30 カテーテル

  21:30 カテーテル

    いろいろ詰め込みをする。これは最後までかかるだろう。息子がわれわれより早めにオーストラリアへ戻ってくるので、私の使っている部屋を引き渡すための整頓に入る。

  ハーバータウンへ行く。 

   東京マラソンは大迫傑が2時間05分29秒で自己の持つ日本新記録を21秒縮めて優勝した。2度目の1億円をゲットして、寄付したという。

   

 

 2020年03月02日(月)

 1:15 カテーテル

 7:15 カテーテル

 13:00 カテーテル

 19:15 カテーテル

 23:30 カテーテル

 娘からAPAホテル八丁堀の予約確定証が送られてきた。APAに止まるのは初めてのことになる。



 2020年03月03日(火)

 3:30 カテーテル 

 7:45 カテーテル 

  13:15 カテーテル

 17:15 カテーテル  

  22:00 カテーテル

   昼はヘレンズベイルでケバブとする。夜はスシトレイン。

  ばあ様の先日更新した運転免許証が今日とどいた。ぎりぎり取得したことになる。明日はここにいない。

  体重:就寝前46kg

 日本に戻って以降ここ1カ月はカテーテルに振り回されている。なにしろ真夜中に一回は起きて実行しなければならないのである。日々はカテーテル作業のために消費されていると言っていい。うまくいくと次もうまくいってくれと願う。失敗したり無理して血を出してしまうと、恐怖と不安が入り混じり、次も失敗するのではないかと怯えて時を過ごすことになる。 一日がカテーテルのためにあり時が流れていく。それ以外のことは考えるのも億劫である。ものを考えようという気力が生まれない。ただただ時の流れに乗っているだけである。カテーテルに始まりカテーテルで終わる1カ月を過ごしたことになる。 



 2020年03月04日(水)

  ●  四ツ谷 1泊目

 1:30 カテーテル 

 5:30 カテーテル

  朝7時、ピックアップバスがくる。1時間半ほどで空港へ。時期のせいだろうリゾートには止まらずレジデンスのみであった。

  GC===>成田 「ICKY3Y」 10:30出発::

 私は手荷物検査カゴに、ばあ様は顔認証テーブルにパスポートを忘れる。なんだかさい先が不安の出発である。ごたごたしたが待合ロビーに入場できた。空港ロビートイレでのカテーテルは無事成功した。朝食はヌキで飛行機に乗り込む。今日は雨とのことであったが、パラパラと降られただけである。蒸し暑っかったが雨によって涼しくなった。昼は持ち込んだアルデイのクロワッサンと水である。午後2時頃に機内トイレでカテーテルを使う。これは失敗した。飛行機はガラガラであり、マスクをしている人はまばらである。

  定刻通りに成田に着く。ちょうど1カ月のご無沙汰であった。

 夕食は空港で野菜チャンポン夕を食べる。娘が田中さんと一緒に来てくれていた。中古で車を買ったとのことでマツダ3とかである。デイーゼル仕様という。新品同様でこれで四ツ谷まで送ってくれた。

 19:30 カテーテル   

  22:30 カテーテル    

  


  2020年03月05日(木)

  ● 四ツ谷 2泊目

   7:00 カテーテル  

  13:30 カテーテル 

 区役所でばあ様は住民登録をして健康保険証を受け取る。2月にオーストラリアに帰るとき住民登録を抹消してあるので改めての申請ということである。私は昨年、前立腺診療のとき住民登録をして保険証を受け取っており、その後抹消手続きはしていないのでそのまま使える。今日はまた後期老齢者医療保険証の裏に「臓器提供に関する意思表示欄」というのがあり、「全臓器提供」に〇をつけ、ばあ様が家族同意のサインを書き込んで提出した。75歳の臓器に役立つものがあるのだろうか。

 その後、新宿へ出るがガラガラである。ビックロへ行く。

 朝:ナシ、昼:肉まんとワッフル、夕食は四ツ谷で鯖とシャウエッセンソーセージ。日本のコメはやたらと白いという印象である。

  18:00 カテーテル失敗 

 20:45 カテーテル失敗   

 22:45 カテーテル   

 5回やって2回失敗したことになる。1日3回だと8時間おきになる。



 2020年03月06日(金)

  板橋病院入院  1泊目

 7:00 カテーテル  

 座ってやるのは2回続けて失敗し、立ってやると2回つづけて成功したことになる。

  9時に出て10時に板橋の病院に入院する。




《使用している画像の多くはgoogleから借用しています。ありがとうございます。著作権のあるものはコピー不能が設定されているか、あるいは狭小画像でしかコピーできなくなっています。よってそれ以外のものを使わせてもらっています。》


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 続記

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■■■ 2020年3月---2020年10月

 コロナ 疎開記

●コロナ隔離終了証:ニューサウスウエールズ州

 


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